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客船の最も下のフロア奥にある、デザインルーム。
数多の衣装が掛けられた広い室内の片隅に、十数人の女
性達が監禁されていた。
ファッションモデル達と、デザイナーである。
彼女達は両手を手錠で拘束され、全員一本の鎖で繋げら
れている。
それを眺めながら、銃をちらつかせワインを傾けている女
がいた。
あの、ロージィを痛めつけたキャシーというモデルである。

室内にあるエレベーターの扉が開き、ダニエルと気絶し
たロージィを担いでいる側近が現われた。
「ダニエル!ねえ代わりの見張りをよこしてよ、あたし
疲れたわ。あら、どうしてロージィを・・・」
「今取り込み中なんだ、もう少し君が見張りを続けてくれ
ないか」
とぶっきらぼうに返すと、デザインルームの奥にある部屋
に入って行った。

****

デスマスクは、ダニエルの部下と銃撃戦を交えながら交
信を交わしている。
「一番下に行く道は見つかったか?」
「今のところ、エレベーター一基だけだ。だがそれを使っ
て戻るとも思えない」
「扉を壊して、ワイヤーを伝うしか…」
「今、シュラが仕掛けている!デスお前はダニエルが脱
走に使うだろう救命艇に先回りしてくれ!」

了解、と言ってはみたものの、敵も簡単には救命艇付近
に近づけない。
立て続けに弾丸が自分向けて飛んで来て、足止めを食っ
ている状態に、デスマスクは苛立っていた。

****

客船のシークレットルームでは、ダニエルが端末のキー
ボードを操作しながら、何処かと通信を行っていた。
「ああそうだ、全ての取引リストとデータを提供しよう。
うん…ん?ロージィのことか?ああ、それも承知している。
では、明朝」
通信を終えたダニエルは、PCから一枚のCDを抜き、そ
れをアタッシュケースに入れると薄笑いを浮かべ。
「後は全て消し去るだけだ、行くぞ」
と、ロージィを連れた部下と共に、室内の最も奥にある、
手足を掛けて上昇する梯子状の簡易エレベーターで上へ
と向かった。

程なくして、デザインルームにあるエレベーターの扉を
こじ開けて、シュラとアルデバランが出てきた。
戸惑う女性達に対し
「ICPOの要請で、ダニエル・デュポアを麻薬取締違反の
容疑で逮捕しに来た!君達が監禁されている事も承知だ」
と説明していると、一人の女が銃を向けた。
「何がICPOよ、死になさい!!」
そう言って引き金を引こうとする女の手をシュラが蹴り
上げて鳩尾を打つと気絶させた。

監禁されている女性の一人、デザイナーでありロージィ
脱出の協力者のパティが
「ダニエルは奥の部屋にいます」
と伝えたが、二人が乗り込んだ時にはもう逃れていた後
だった。
アルデバランが、その隣の部屋を開ける。
そこには、ロージィの証言とおり一人の女が牢に閉じ込
められていた。
女はダニエルの前妻であり、かつてはアカデミー賞の候
補に上がった程の女優であったが、今は骨と皮だけで
皮膚も変色しており、筆舌しがたい状態であった。

女は牢屋を開けて近づくと怯え悲鳴を上げた。
それを必死に宥め、姿を見られないよう毛布で包むと
「ここから避難しましょう」と他の女性達を連れて部屋
から出た。

****

一面の暗闇に包まれていた空が徐々に白み始め、東の方
向にうっすらと水平線が見え始めた夜明け前

ダニエルたちは、この船のデッキでは2番目に高い場所
に出た。
そこが救命艇に乗り込めるフロアである。
プールも備わっている後部のオープンデッキに立ち、救
命艇の向こうから聞こえる銃弾に眉を潜める。
「まだネズミは駆除出来ないのか?」
「はあ、あのアレン氏に成りすましていた男、中々の手
練で」
ダニエルはちっと舌を鳴らした。
「まったく、ICPOの尻尾に乗っ取られるとは、ネグ
ロもこれまでだな」
「ではやはり、キングと…」
「ああ、だからこれが必要なんだ」
と、小ぶりなアタッシュケースを見せて笑う。
すると、遠くから聞こえていた銃声が止んだ。

「…どうやら、片付いたようだな、いくぞ」
ダニエルはロージィを担いだ部下と共に、救命艇へと走
って行った。

部下が、一度ロージィを床に寝かせて、船のサイドに付
けられた救命艇の一つを外そうと手を掛けたとき。

「そこまでだ、手を上げろ!!」

低い男の声が、下方から聞こえてきた。

「なに?」

ダニエルは慌てて柱の陰に隠れながら下を見る。

救命艇の、約10メートル程真下のデッキに立ち、ライフ
ルを構えている一人の男がいた。
短い銀髪の容貌は初めて見るが、身に付けている迷彩色
の衣服で誰かが分かった。
「貴様!貴様がアレンに成りすました・・・!!」
「本物のアレン・ボルケーノは、今頃リオに送還され取り
調べ中だ。俺の仲間がICPOを通じて日本の警察にも
捜査依頼を出している。潔く捕まった方があんたの身の
為だ」
「たかだか委託業者が、いい気にならない方がいい」
「・・・・」

ダニエルは、手元のアタッシュケースに視線を移す。
「ネグロか、あんな間抜けはこっちから願い下げだよ。
私はこの取引データと共に、新しい雇い主に迎えられる」
「…デルタ・キングか」
「ほう、もうそこまで嗅ぎ付けていたのかい」

タイ・ラオス・中国の国境地帯には、アジア最大の麻薬
産地が存在するという。
は別名「黄金の三角地帯」と呼ばれ、その区域を支配
するアジアの麻薬王である俗称「デルタ・キング」に、
ダニエルは寝返る所存だった。

「ケースのディスクには、ネグロが所有する得意先と過
去の麻薬取引データが全て入っている。もちろん本部の
サーバからは
全て消去した!それとこの女、ロージィもキングに譲り
渡せば、私の地位と安全は保障してくれる」
「…そううまくいくと思っているのか?」
その時、救命艇の影から、ダニエルの部下がデスマスク
に銃を向けてきた。
「とっと消えろネズミが!」
デスマスクは動じず、その部下向けて銃を撃った。
「ぎゃあっ!!」
弾丸は、男の左肩に当たり、鮮血を流してその場に倒れ
る。

男の叫びを受けて、デッキに寝かせられていたロージィ
の眉が微かに動いた。

ダニエルは、肩から血を流して苦しむ部下を疎ましそう
に見下ろし
「役立たずが・・・」
と苦虫を潰した顔で唾を吐く。
ふとロージィの意識が戻り、眼前で部下がのたうちまく
っている光景に悲鳴を上げそうになるのを堪えると周囲
を見回した。

「ピパ!悪あがきはそれまでにしろ、いくらお前が賄賂
を渡したとてICPOの要請を警察は無視できない」
「甘いね」

ダニエルは胸ポケットから、リモコンのようなものを出
すと、すぐさまボタンを押した。
「?」
程なくして、船底からズン!という鈍い音と共に、船体
が大きく揺れた。
「貴様!!自爆か?」
「ここは日本から300キロ以上離れている。重い腰を上
げた警察がたどり着くころこの船は、海底2000メートル
の底だ…引き上げは不可能。
証拠は何も残らない。このケース以外は…」

****

同じ頃、レセプションホールで手当てを受けていた盟と、
付き添っている辰巳やガードも船底からの鈍い揺れを感
じた。

「何が…!」
「め、盟様、ここにいては危険かもしれません!私達で
支えますから上に行きましょう」

盟達だけではない、船の各所に配置されているスタッフ
や、デスマスクに痛めつけられた者達までも船の異変に
気づき、皆こぞって上に登ろうとした。
調理場のスタッフ達がキッチンから逃れようとした時、
収納庫から助けを呼ぶ声と戸を叩く音が聞こえた。
何事かと戸を開けると、髭面の痩せた男が飛び出し、
スタッフを跳ね付けて走り去って行った。

走り去る髭面の男に「あいつを誰が知っているか?」
と誰かが呼びかけたが、誰もが首を横に振った。


****

ダニエルが始めに爆破したのは、船の最も下にあるデザ
インルームに続くあのシークレットルームであった。
船底からたちまち海水が流れ込み、船はじわりと傾き
始める。
悠然と構えているダニエルを見上げ、デスマスクは低く
語る。

「自殺行為か・・・」
「僕は死なないよ、だって人質がいる」
「…?」
「世界のトップモデルを、失いたくはないだろう?」

ダニエルの足元が少し離れた場所で、ロージィは気取ら
れぬように周囲を見回した。
その時船が揺れて、彼女の足元に一本のチューブが転が
って来る。
ロージィは咄嗟にそれを手に取った。

気付かずにダニエルは勝ち誇った笑い声を上げた。

「それとも何かい?君は女でも撃ち抜けるのかい?」

ダニエルがロージィに手を伸ばし、盾代わりにしようと
その時だった

「もう、思い通りにはならないわ!!」

ダニエルの顔面に、何かの液体が浴びせられる。

「ぐあああっ!」

ロージィが手にしていたのは、液体洗剤の入ったチューブ。
しかもそれは200倍に薄めて使う、業務用洗剤の原液で
あった。

ダニエルは目や鼻に激痛が走り、必死に自分の顔を拭っ
て悶え苦しんだ。
その様子にデスマスクが走り出てダニエルに銃を向ける
が、余りに苦しみのた打ち回っているため照準が定まら
ない。

ロージィは咄嗟に、ダニエルが落としたアタッシュケー
スを身体を引きずって掴み取り、下にいるデスマスクに
叫んだ。

「今落とします!受け取って!!」
「…こっ…この田舎娘っ!!」

すぐに気づいたダニエルが、苦しみながらもロージィを
追う。
デスマスクは銃を捨て叫んだ。

「あんたも落ちて来い!!」と

ロージィは一瞬怯む。
デスマスクがいるデッキはおおよそ10メートル下。
落ちれば通常の人間でも重体は免れない。

「駄目…無理です!」
「受け止める、心配するな」

真下にいる男は低く語ると、両腕を出してロージィの身
体を受け取る体制になった。
「でも・・・」
この高さから落ちた成人の身体を、人一人だけで無事に
受け止められる訳が無い。
自分はともかく、デスマスクの身まで危険に晒す。
戸惑うロージィの背後から、呪いにも似た叫びと足音が
近づく。

「ロージィ…逃しはしない、お前には最高の苦痛を…」
「…ひっ!」
「早くしろ!!ケースを抱いて背中から落るんだ」

デスマスクの声に、もう一度下を見る。
何も動じず、ただ身構えて待ち受ける男がそこにいた。

その時、ロージィの胸に響く声がある

――約束だよ――-

あの少年の声が

――約束だよ、故郷に帰ろう――

盟の言葉が、胸の奥から滲み出て
ロージィの目頭が熱くなった。


――君は、自由になるんだ――


盟の言葉に押されるように、ロージィは這いずってデッ
キの柵を潜り抜ける。
体中にじんじんと痺れるような痛みが続き、膝の皮膚は
擦れて真っ赤に血が滲み
骨折した足首は腫れ上がって、鈍痛が幾度も波打つ。
それでも彼女は、最後の力で這いずり、柵の下をくぐろ
うとした。

「帰り…たい…」

微かに、自分に向けて呟く。

「私、自由に…なりたい」


ロージィは柵から身を乗り出すと、仰向けになってケー
スを抱き声を振り絞った。

「今落ちます!!受け止めてください!!」

彼女の訴えに、デスクマスクは腕を開いて足を踏ん張り、
「ああ」と頷いた。

そうはさせるかと、目を血走らせてダニエルがロージィ
の足に手を伸ばす。
あともう少しで、ロージィの足首が掴まれようとした時
彼女の身体は、柵を離れて落下した。

アタッシュケースを抱いて身を丸め、母胎の中の赤子の
ようになりながら
下に落ちる時、ロージィの視界に、遠くの水平線が上下
逆に写った。

(ああ…そうね…)

何時の間にか、漆黒の海は濃い青に変わっており、
遠くの空にはうっすらとした紅色が覗いていた。

(もうじき…夜が明けるわ)

ロージィの胸にそんな想いが過ぎり
彼女の両手が、自然に組まれた。


祈りを、捧げるように。(Like a Prayer)


その直後、自分の背中を受け止める力強い腕を感じた。

デスマスクは、脚に渾身の力を込め、ロージィの身を痛
めないようぎりぎりまで腰を落としてその身体を抱きとめる。

「…あ…ありがと…」

ロージィが顔を上げて礼を返そうとした時、デスマスク
はゆっくりと彼女の身体を、床に寝かせた。
「…?」
様子がおかしい。
デスマスクは何も言わず、頬を強張らせで辺りを見回す。
その顔はかなり青冷めており、両の腕は下げられたまま
であった。
「貴方もしかしたら…!肩を!!」
いくら常人離れした男でも、成人の女性を10メートル以上
の高さから受け止めた衝撃には耐え切れず、両肩を脱臼
していた。

「やっぱり無理だったのね…ごめんなさい!!」
「仲間を、呼んでくれ…俺の胸ポケットに入っているマ
イクで…」
その時、デスマスク達がいるデッキに駆け上がってくる
足音があった。

「そこまでだ外道!!」

それは、先程デスマスクが痛めつけたダニエルのガード
の一人であった。
無残にも顔の半分が腫れて前歯が欠け、鼻血を出した跡
が残る悪鬼のような表情で、デスマスクとロージィに銃を
向ける。
その様子をダニエルは痛む目で見下ろしながらヒステリ
ックに叫んだ。

「よし!!その男の息の根を止めろ!蜂の巣にしても構
わん。だがロージィは生かせ!」
「へへ、言われなくても、その脳天打ち砕いてやる…!」

両腕の自由が利かず、ロージィも動くことが出来ない。
まさに、万事休すの事態であった。
ロージィが必死に叫ぶ。
「お願い!私の事はいいから逃げて下さい!!もう無理
です!」
「そうでもない…」
「え?」
デスマスクはロージィの前に立って、方から伝わる激痛
の中、不敵な笑みを敵に向けた。

「まだ、両脚が残っている。貴様のような死に損ないな
ら十分だ」

強気なデスマスクの態度に、相手は動揺する。
「ふ、ふざけんな!腕外してて丸腰じゃねぇか!」
実際のところ、確実にこの場を切り抜ける手段は見つか
らなかった。
動揺させ的を外し、その間に近づいて蹴りを入れるか
だが、距離がありすぎる。
一発目を外せたとしても、二発目は間違いなくこの身を
打ち抜くだろう。
もし、そうだとしても。

僕の事はいいから、彼女を助けてよと

たった一人で強面の男たちに挑んで重症を負い
それでも大切な者を守りたいと
悔し嘆きながら訴えた、盟の願いに背は向けられない

痛んだ盟に背を向けた今、前に行くしかない

敵の弾丸を受けても、とどめの一撃くらいは与えられる
だろう、その後は

(後は、シュラたちに任せるか…)

ロージィは、守り抜かなければならない。
デスマスクは覚悟を決めたように、男に対して走り出し
た。

その瞬間、明け方のデッキに
銃声が、轟く。

「いやあああっ!」

ロージィの鋭い悲鳴が、空に抜けた。。

(これで…終わりか)

自然に、デスマスクの脚が止まり、最後の時を待つ。

だが、何処にも弾は当たっていない。

(・・・・?)

「があああっ!!」

突如、目の前の敵が肩を抑えて倒れ、血を滴らせながら
デッキの上を転げ回った。
それは間違いなく、何処から銃に撃たれた事を意味して
いる。

(いったい、誰が…)

デスマスクは、銃弾が飛んで来ただろう方向に
振り向いた。
同時にロージィもまた同じ方を向き、驚きに声を上げる。

「盟っ!?」

客船の後方、デスマスクたちの数十メートル後ろで銃を
構え、息を荒くして立っている盟がいた。
盟の後ろには、驚き顔の辰巳とガードがいる。

船の爆破により慌てて後方デッキに出てきた盟達は、目
の前で苦戦するデスマスクの様子を目にした。
それまで、辰巳たちに支えられてやっと歩いていた盟は
とっさに腕を振り切り、デスマスクから預けられていた
デリンジャーの引き金を引いたのだ。

だが、肋骨が折れている危険もある身で銃を撃った盟は、
全身に凄まじい激痛が走る。

「うっ!ああっ!!」

盟は、苦痛に叫びを上げ倒れようとする。
その身体を、辰巳が必死に支えた。

「盟様っ!盟様?盟様ーっ!!」

盟は、余りの痛みに意識を失った。

デスマスクの身の危険も去ったと思われた時、上部から
ヒステリックな声が響く。

「貴様ら!…私が始末してやる!!」

ダニエルは、倒された部下の銃を拾って、血走った眼を
向けながらロージィとデスマスクに銃口を向けていた。
その表情は、執念と怒りで醜く歪んでいる。

「往生際が悪い…」

デスマスクは舌打ちをし、頬を強張らせてダニエルを見上
げながらロージィに告げた。

「ここは俺がどうにかする、あんたは盟のガード達に…」
「いいえ!貴方が先に逃げて!!」

「二人とも打ち抜いてやる!!ロージィ、貴様も地獄
行きだ!!」

怒りの眼と銃口をロージィに向け、引き金を引こうとし
た。
その時であった。

「ダニエル!!」

ダニエル目掛けて、一人の男が走り出てきた。
男は、濃いブラウンの伸ばし放題の髪と無精髭で、粗末
な黒いコートを羽織っていた。
その手には、刃渡り30センチ程の鋭い刃物が握られてい
る。

「?貴様いったい・・・うあああっ!」

刃物は、ダニエルの腹部から背中を突き抜けた。
真っ赤な鮮血が噴出してスーツを染めた。
男は、ダニエルに刃を突き立てながら、悲しみと憎しみ
に溢れた声で叫ぶ。

「ダニエル…よくも…よくも私の娘を…」
「貴様、ロッソ…か?」

身体を刺し抜かれた激痛の中、ダニエルは銃を握り直
すと、男の胸元に当てて引き金を引いた。

「ぐああっ!」

男の背中と、口から血が吹き出す。
二人はそのままもつれ合いながら、救命艇の上に倒れ込
んで滑り、ロージィ達がいるデッキへと落ちてきた。
全身血塗れで、仰向けになって息をしている黒のコート
姿の男は、ロージィの姿を見つけると手を伸ばした。

「ロー…ジィ…か?」
「…パパ?パパなの?!」

ロージィは必死に、膝立ちで這いながら男の元へと近づ
いた。
かなり痩せて、髪型も変わっていたが、それは紛れも無
くロージィの父親ロッソ・レジェであった。

「パパ…どうして…」
「ロージィ、済まない…今まで、本当に…」

ロージィの父ロッソ・レジェは、ダニエルに騙された事に
気が付くと、ボルドーの店から行方をくらまして、まずは
パリにあるダニエルの邸宅を訪れた。
だがすでに、ダニエルはロージィを連れてニューヨーク
に移り住んでいた後であった。

ロッソは、パリのレストランに住み込みで働き必死に金
を貯め、娘を探しにニューヨークへと渡った。
ニューヨークに着いたその日にすぐ、彼は
娘を「見つけた」

初雪のちらつくニューヨークの摩天楼の中、
高層ビルに備え付けられた巨大スクリーンの中で
美しく着飾り、華麗に舞う娘の姿を見た。

ダニエルの元で苦しめられているかもしれないと、必死
に後を追った先で見た娘は、今やスーパーモデルとして
メディアの至る所に登場し、見事な成功を収めていた。

こんなみすぼらしい父がいては、娘の名に傷がつくとロ
ッソはロージィに会おうとはせず、ニューヨークのフレン
チレストランを転々と渡り歩いて細々と暮らしていた。

だが、とある店の裏路地で聞いた話にロッソは驚愕した。
ダニエルが裏の世界で悪どい儲け方をしたいること
過去、妻になった女は行方がしれなくなっていること。

ロッソはもう一度ロージィに会おうと決心したが、その
直後ロージィは日本に向かってしまった。
娘を追って彼は、全ての蓄えを使って日本に渡るが、
厳重な警備の中、簡単にロージィのいる客船には
近づけなかった。

暫く客船の側で張っていたある夜、ロッソは客船に積ま
れる荷の中に身を潜めて潜り込み、見つからないように
厨房の倉庫に隠れていたが、鍵を閉められてしまったの
である。
それから2日後の今夜、船の爆破による避難時に運よく
スタッフに見つけられた次第だ。

ロッソは息も絶え絶えに、数年ぶりに出会う娘に詫びた。
あの時、お前を置いた事を悔いている。
自分のせいでお前をこんな辛い目に合わせてしまったと。
ロージィは涙を流しながら、もうしゃべらないで、パパは
悪くないわと手を握り締める。

「パパ…もう一度家に、ニースに戻りましょう。
また、あのお店を開きましょう、二人で…」

咽び泣きながら訴える娘に、ロッソは口から血を流しながら
それでも微笑み返す。

「そうだな……また、やり直すか…お前と……」

二人で、と唇が動いたが言葉は出なかった。
ロッソは穏かな笑みを浮かべたまま目を閉じ、その手は
力なくするりとロージィの手から落ちる。

「父さん?…父さん、父さん…!!」

ロージィは、息をひきとってしまった父にすがり付いて
激しく咽び泣いた。

デスクマスクは呆然とした表情で、未だ利かない両腕の
まま、ゆっくりとロージィに歩み寄ろうとする。
その時、デスマスクの脚を掴む手があった。

「あんた…助けて…くれ…」

ダニエルが全身汚れきって、腹部と口から血を流しなが
ら、息も絶え絶えにデスマスクに懇願している。

「俺は…重要な証人だ…生かせば…ネグロの秘密を…」

往生際の悪い男が、助けを乞うて見上げた先には
冷酷な、視線があった。

沈んだダークグレイの瞳は、感情すらも映さずに
ただ石のように凝り固まったまま、相手を見下していた。

「…あ、た、頼む……!…私はまだ…!」

幾万もの人間を足蹴にし、巨万の富を築いたその者は、
死神と呼ばれる男の視線だけが向けられる中、
醜く血を吐き目を見開いたまま、無残に息絶えた。


限りなく広がる水平線の向こうから、金色の陽が覗く。

朝日に照らされながら傾く船の上には、激しく嘆く女の、
ロージィの悲しい泣き声だけが響いていた。
後部デッキには、アルデバランとシュラに助け出された
モデルの女性達、それに船のクルーや負傷したダニエル
のガードたちが一人また一人と現われて来る。

徐々に明け行く、美しいプラチナの朝日に反するような、
亡き父を呼ぶ慟哭以外、声を出す者はいない。
ただ、憔悴しきった表情で言葉も無く、哀しい結末を
誰もが見つめていた。

デスマスクはふと、盟の方を見た。
ロージィの嘆き声にも反応せず、気を失って横たわって
ままだ。

良かった

自然にそんな気持ちが浮かぶ。

ロージィの父の死を知らずにいる盟の姿に

それだけでも良かったと

妙な安堵感が、胸を過ぎった。


****


程なくして、また船が大きく傾いた。
デッキにいるもの達は半ばパニックになったその時、
昇り行く朝日の方向から、数機のヘリが現われる。
シュラは
「日本のヘリか…早すぎる…ICPOは先程連絡がとれた
と言っていた」
「なら、あれは何だってんだ?…もしかしたらデルタ・
キングか?」
アルデバランの問いに対し苦しそうに頷く
「だとしたら…証拠隠滅のために…まずい!!」
シュラは腰を上げた。
「あれは、東南アジアの麻薬王の手下かもしれない!皆
逃げろ!!」
「もう遅い!あと2−3分で来る!」

その呼びかけに、船上は騒然とした。
中にはパニックになり悲鳴を上げる女性も出てくる。

「待て!」と、突然辰巳が叫んだ。

「あの、機体の脇に描かれてあるのは…」
誰もが、朝日を追って近づきつつあるヘリに視線を注ぐ。
ヘリの脇にちらりと、日の丸が見えた。

間もなく、ヘリの一機が船の真上に停止する。

「海自だ…」

辰巳はそう呟くと、途端に目から涙を溢れさせて叫んだ。

「やってくれましたか、旦那様!!」

辰巳は上着を脱ぐと、大きく振り上げながら感極まって
叫んだ。
突然、頭上のヘリのハッチが開き、そこから長い髪が宙
に舞い踊った。

「…お嬢様?」

厚手のコート姿の沙織が、半泣きになりながら船を見下
ろし「兄様!ロージィ!」と必死に叫んでいる。
その背後に、光政の姿か見えた。

昨晩、ダニエルに激怒した光政は、さる場所に出向こう
と城戸邸の門を開けた時であった。
すでに身支度を整えていた沙織が待ち受けており

「お爺様、もう蚊帳の外には置かないで下さい!」

と強引に願い出て、光政と行動を共にした。

光政が出向いた先は、首相官邸であった。

「私の息子の命が危ぶまれているだけではない。国家の
衰退に繋がる事態が起きようとしているのに、指を咥え
て見ているしかないのか?」

そう詰め寄り、テロ防止の名目で小笠原の部隊と、
横須賀から巡洋船を向け、光政と沙織も盟達の身を
案じてヘリに乗り込んだ。

聞こえるか?とデスマスク達の無線にサガから連絡が入
った。

総帥が自衛隊を動かしてくれた、麻薬を運んできたコン
テナ船もすでに拿捕されて、客船に向けて救助のヘリと
巡洋船が向かっている。今の状況を教えてくれとの
呼びかけにシュラが出た。

「どうやら、ダニエルは死亡したようだ。それともう一人、
おそらくマドモアゼルの父親も死亡。
他に負傷者は見積もって十数人、それと船底を爆破され
た、約2時間ほどで沈没する…」

連絡を取っている間、ただ呆然と立ち尽くしているデス
マスクにアルデバランが気づいた。
冴えない表情で、嘆き続けるロージィと意識を失ってい
る盟をただ見つめているデスマスクの姿を見て

「…ご苦労だったな、今は…」

と労おうとした時、デスマスクが顔を上げ

「お前…腕、はめられるか?」

そう、重々しい声で尋ね返された。

アルデバランが慌てて、デスマスクを椅子に座らせて脱
臼した両肩を嵌める。
その間、ヘリから救命の為の隊員が降りて、まずは最も
重体と思われる盟の身をヘリへと上げる。

デスマスクは、未だ目を閉じたままの盟の姿をじっと見
上げながら、先ほど再会した時を思い出す。
打ちのめされ傷ついてなお、ロージィを助けてくれと必
死に訴えるあの表情と、手当てを拒否して自分の腕を
掴んだ指の力。

当たり前な事なのだろうが
間違いなく、盟はこの一年間で
遥かに成長していた、何もかも。

盟の身体かヘリに乗せられ、ハッチか閉じようとする直
前、光政と目が合った。
光政は、デスマスクに対して敬礼をする。
返すように、軽く額に二本指を当てたときハッチは閉ざ
され、盟を乗せたヘリは朝日に溶け入るように飛び去っ
て入った。

その後も続けて、2機、3機とヘリが船上に現われ、負傷
した者、女性達から優先にヘリに乗るよう指示が出る。

未だ父の亡骸の元で嘆き続けるロージィの元に、協力者
であるパティが来て、慰めの言葉も無くロージィを抱き
しめると

「貴女のおかげで、前妻のスザンヌは…助けられたわ…」

やっとのことで、そう告げた。
ロージィははっとして、救出されてオープンデッキに集
っているモデル達の方を見る。
皆、憔悴した様子で座り込んでいる中、厚手の毛布に包
まれて怯えるように震えている者がいた。

姿は見えないが、毛布を掴んでいるその手は骨と皮だけ
で、皮膚も茶色に変色し悲惨な状態が伺える。

ロージィは膝で這いずるようにして、その者に近づこうと
した。
気づいたアルデバランが、ロージィを抱き上げて側に座
らせる。
ロージィは、怯え震える女の、痩せ過ぎた腕に触れた。

「スザンヌ?」

呼びかけに、女はひっと小さく悲鳴を上げて、退こうと
した。ロージィはその肩に触れると

「貴女、ミセス・スザンヌ・カーションですね・・・落ち着いて、
落ち着いて下さい!」

激しく動揺し逃れようとするその身を、ロージィは静かに
抱きしめると

「ダニエル・デュポアは、死にました。
私達を、貴女を苦しめた男は、もうこの世にいません!
もう自由です!!だからもう…怯えないで」
そう必死に呼びかけた。

女は、干物のような腕でロージィにしがみつき
ただ、悲鳴に近い泣き声を上げ続けた。

ロージィを始め、モデル達は次のヘリに乗せられた。
ロージィを裏切って痛めつけたあのモデルは、自分が
部屋にいる事を知ってなお、ダニエルが始めにそこを
爆破した事実にショックを受け、ただ塞ぎ込んでいる。

ロージィは無事ヘリに救助され、骨折した足の応急処置を
施されながら、女性の隊員からホットミルクを受け取る。
ロージィが礼を返すと隊員は
「私の娘が貴女のファンで、絶対に助けてくれと願われ
たんです」
そう熱く語った。

ロージィの目頭が熱くなり
「いつまでも…娘さんと仲良くして下さい」
と涙に詰まりながら答え、ミルクを傾けていると
隣に座っていたパティが窓の外を見ながら、ぽつりと言
った。

「沈んでいくわ…何もかも…」

悲しそうにそう呟く声に、ロージィも眼下の船を見た。
少しずつ傾いて、水面へと沈み行く「薔薇色の人生」
豪奢なホールも、数百人分の客室も、プールや数々のブ
ランド店も

「時価数十万ドルと言われた、ロージィ・コレクションも、
宝石も…デザインも全て、消えていく」
「でも、まだ残っている」

ロージィの声に、はっとする。

「パティ、貴女が生き残ったわ。貴女の才能はちゃんと
残っている」
「ロージィ…」
「大丈夫、貴女なら、また始められる。私も、協力するわ」

感極まって咽ぶパティを、ロージィは宥めながら、小さく
なっていく客船をずっと見つめていた。

オープンデッキの上では、残った怪我人やスタッフが
次々とヘリや救命船に乗り移っている。
その中で、傾く船をものともせず、柵に腰掛けて煙草を
吹き上げる一人の男がいた。

デスマスクは、仕事の後の一服を付けながら、ロージィ
から預かった麻薬取引のデータが入っているケースを手
に持って、ただ見つめていた。

「肩、大丈夫か?」

アルデバランに聞かれ
「もう嵌っただろ?ちゃんと動く」
と愛想無く返す。
「まったく無茶苦茶やったな、あの高さから婦人を受け
止めたら、普通腕が抜けてもおかしくない」
「知らないのか?」
何かだ?と返すアルデバランに、煙を吹きながら答え返
した。

「いい女は、重くないんだ」

ぐっと息を飲んだあと、すぐに呆れるように溜息を付くと

「ああそうだ。そうだな、お前の言うことは当たってる」

と言い捨てて、強めにデスマスクの肩を叩いた。

痛みになんと叫んだかは、あえて明記しない。


****


ロージィは
パティと共に、朝日に照らされる海上に沈み行く船を
ただ、見つめていた。

ロージィ達モデルが身に着け、トレンドの先端を飾った、
数々のコレクションや、意趣を凝らしたドレスと
アクセサリーの全てが、海中に吸い込まれていく。

それは、波や海流に揉まれ、くるりくるりと揺らめいて
緩やかなラスト・ダンスを舞いながら
人の手の届かない深海へと、遠く沈んで行き

薔薇色の船を飲み込んだ渦が、静かに消え

後には、紺碧の海面にプラチナの朝日を照り返す
大海原だけが

何事も無かったかのように
果てしなく広がっていた。


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