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翌朝、やはり寝付けなかった盟は、早朝にロージィの部
屋を訪れた。
室内では辰己が付き添っており
「よく眠っておられます。熱も大分下がりました」と
説明されて少し安心はした。

光政は、朝食前に城戸邸に勤める者達を全てホールに集
めた。

「昨日から、一部の者は知っているが、とある客人が我
が家に保護を求めて来た。そして私はこの客人を威信に
かけて守ることに決めた。なので皆、外部の者から何を問
われても知らぬ存ぜぬで通すように」と
全ての者に告知した。

加えて辰己が
「中には、大枚をちらつかせて来る者もいるだろう。し
かし実の所ビタ一文出さない連中だ、よく覚えておけ」と
厳しく念を押す。
その後の朝食の席では、普段は付けないTVのニュース
を流した。
案の定、ニュースのトップはマダムロージィの突然の失
踪である。
報道上は、何者かに拉致された可能性が高いと報じてい
たが
「三人目の妻も逃げ出したとなると、ダニエル氏もバツ
が悪いのだろう」
と光政が語った。

現在ダニエルはショックのため、客船の自室に篭りきり
だとニュースでは伝えられた。
光政は盟と沙織に対し
「私は見舞いを兼ねた敵情視察に行くとしよう。お前達
二人は気取られぬよう、何時もと同じ行動を取りなさい」
と命じた。
沙織は気が済まず
「この状態で、私に一週間も寮にいろというのですか?」
と反論する。
光政は落ち着いた態度で
「お前の逸る気持は分かるが、今は慎重な時だ。本当に
マダムを思いやる気持があるなら、少し耐えなさい」
そう諭した。
沙織はしばし押し黙って「兄様も耐えられる?」と盟に
矛先を向ける。
盟は「僕の軽はずみな行動で、過去傷ついた人がいる。
だから父の言うとおり、今は我慢するよ」と真っ直ぐに
返した。

そう沙織に強がっては見たものの、城戸邸から離れてオ
フィスに向かう途中も、朝の会議でもロージィの事が気に
かかって上の空だった。

流石に只事ではないと感づかれたニコルに、ランチの席
で何かお気になることがと問われる。
盟は、光政から事前にニコルには打ち明けていいと許さ
れていたため、周囲に人がいないのを確認して事の次第を
説明した。
ニコルは始め度肝を抜かれたが次第に慎重な面持ちにな
り「いよいよ、ランド壊滅へ向けて…大きく動きますね」
と呟くと「ニコルも知っていたの?」と盟に突っ込まれる。

ニコルは、自分が聞いたのはつい数ヶ月前です。実は諜
報活動にも協力していましたと、済まなそうに頭を下げた。
盟が「もしかしたら、財団がロージィのチャリティーショーの
スポンサーになったのは、ダニエルが組織のメンバーで
ある事を探りたかったからなの?」
と問うと
ニコルは、無言で頷いた。

****

その日、盟は少し早い時間に、ニコルを伴って城戸邸に
戻ってきた。
光政はまだ戻っておらず、盟は真っ先にロージィのいる
部屋に向かった。

カーテンの締め切った客間に、ガードの一人が側に付き
添っていたロージィは、半身を起こして盟を迎えた。
「おかえりなさい」と向けられた笑顔は、幾分やつれ気
味ではあったが、昨日より顔色は良くなっていた。
盟は秘書のニコルを紹介すると
「熱はどう?ゆっくり休めた?」と心配気に訪ねる。
ロージィは
「お陰で大分落ち着いたわ。こんなに眠ったの久し振り」
と穏やかな笑みで返した。

その様子を見たニコルは何かに気付いたように
「盟様、私は辰己様に会ってきます。マドモアゼル、ど
うかごゆっくり養生なさってください」と丁寧に礼をして
ガードにも部屋を出るよう促した。

室内に二人きりになる盟とロージィ。盟は照れて困った
顔になり
(なんだよ…変に気を遣うなんて…ニコルらしくない)
そう心の中でぼやいた。
盟は顔を赤くし「あの…」と言い掛けて言葉を捜す。
「なあに?」とロージィに問われて益々焦り
「あの…ちゃんと、食事は…食べた?」
と、どうでもいい事を切り出した。
ロージィは変わらず柔らかい笑顔で
「とても美味しいスープを作ってもらったの。でもまだ
少ししか食べられなくて…」と済まなそうに返す。
「そ、そう。良かった。僕と話してると、体力使わせて
しまうね」
そう腰を上げようとしたとき。
「いいのよ。それに…」とロージィが引き止める
「?」
「それに私、貴方からの問いに、まだ答えてなかったわ」
何だったでしょうと盟が問うと、ロージィは少し照れる
ように
「他の方にも聞かれた事だけれど、私が、日本で助けを
求めたのが何故貴方かって」
盟の胸が大きく鳴った。
聞きたいはずなのに、聞くのが怖い。
ロージィは照れた顔を少し俯かせて語り始めた。

「あの、パーティで初めて会った時。
貴方だけが、他の人と違う目で、私を見た」
「…!」
「モデルになってアメリカに来てからずっと、私を見る他人の
眼は、羨望と、嫉妬と、卑しさと厭らしさ…それしか無かった。
でも、貴方は違っていたわ」
照れた笑いを向けるロージィに対し、盟の心中は重くな
っていった。
「盟、貴方の目はとても素直で、それでいて何か切なそう
で…何かを堪えているような、とても真面目な、そんな瞳。
ああ、こんな風に汚れなく真っ直ぐな眼を持つ人なら信
じてみようって、思ったの」
「ロージィ…」
信じてみようと、それはとても嬉しい言葉なはずなのに
盟の胸に支える思いがあって、素直に喜べない。
そんな盟の暗い表情を察して、ロージィは不安になる
「盟、私何か…失礼な事を言ってしまった?」
いいえと、すぐに首を振る。
そして観念するように語り始めた。

「マダムロージィ、貴女の気持は…僕を素直だと、真面
目だと表してくれて、それは光栄なのですが」
「盟…?」
「マダム、それは買いかぶりです。本当の僕はもっと弱
くて、情けない人間です」
「盟、どういうこと?どうしてそんなに自分を低く見る
の?」
「貴女に、嘘はつきたくないから」

盟は寂しい目で打ち明けた。
「あの始めてのパーティーの日、貴女を見て…とても素
敵で魅力的な人だと、それは本当に思いました。でも…」
「…?」
「貴女の肩越しに、僕は、他の人の面影を見ていたので
す。以前思いを寄せて、今は僕から離れて…それでも、
忘れられない人を」
「……」
「僕のそんな思いと視線が、貴方を救う事に繋がったの
は…嬉しいと思いますが…すいません、僕は貴女の肩越し
に、過去の思い出を未だに追いかけている、弱い人間です」

済まなそうにうなだれる盟を、哀しげな目で見つめなが
ら、ロージィは静かに尋ねた。
「もしかしたら…」
「?」
「盟、もしかしたら、貴方の言っている人は、昨晩あの
モニター越しに話をした、メンバーの…あの人?」
「…!!」
一瞬にして盟の顔は耳まで真っ赤に染まり、悪戯を見つ
けられた子供のように気まずそうに唇を噛んだ。
「そうなのね…あの…」
「マダム…そうです。僕は、そんな人間です…!だから
もう僕には…」
そう言って腰を上げ、足早に部屋を出ようとする盟を、
ロージィは必死に引き止めた。

「ごめんなさい!そんなつもりじゃないのよ!盟お願い、
聞いて下さい、最後まで聞いて…」
突然ロージィは激しく咳き込んだ。
まだ身体が不調な状態の彼女を興奮させた事に、盟は驚
いて詫びる。
すいませんでした、落ち着いて下さいと彼女を宥め、ベッ
トに寝かせた。
ロージィはそんな盟の手を軽く握って
「私の方こそ、勘ぐるような言い方をして、傷つけてしまった
わね。でも盟、私は貴方が好いている人が女でも男でも、
気にしないわ」
気を遣われているのかと盟は思って、気まずそうに俯く。

「盟、それに…貴方達の繋がりがあったから私は救われた
の。そんな人たちに感謝の気持はあっても偏見は無いわ」
柔らかな声に、盟の気持は解れていった。
「ロージィありがとう…慰めてくれて、でも」
「また、何か?」
「気を…悪くしないの?」

盟にそう問われて、ロージィはきょとんとした目を向ける。
本当に分かっていないだろう彼女の表情を見て、盟は気
まずそうに切り出した。

「貴女のように素敵な人が…その、男の人に重ねられる
のって、嫌ではないんですか?」

ロージィはその問いに「ああ」と気付いたような返事を
して小さく笑った。
それは、揶揄の笑いなどではなく、とても優しい笑みで
あった。

「私、元々は」
「…?」
ロージィは、懐かしむような目で天井を見つめて
過去の思い出を、打ち明け始めた。

「元々…私が、ロザーナ・デュポアではなくロザーナ・レジェ
という名前で、ニースに住んでいた頃はよく、街の人に男の
子と間違えられていたわ」
「ロージィ…」
彼女はくすくすと、少女の…いや少年のような無邪気な
笑いを浮かべて、思い出話を綴る。
「髪もこの通りずっと短いし、スカートも制服以外殆ど穿い
た事が無いの。汚れたTシャツと擦れたジーンズで、父と
市場に買出しに行く。市場の人たちはずっと私を「坊主」
って呼んでいたわ」

盟も、気持が解れたように椅子に身を預け、ロージィの
話にじっと耳を傾ける。

「ロージィのお父さん、どんな人?」
「私の家は、ニース郊外にある海沿いのレストランだっ
たの。白木の建物に海に面したオープンテラスと、父の
作る料理が評判で、地元の人にも観光客にも愛されて
いた。腕の良い父と、機転の利く母。今でも大好き、
二人とも…」

両親は健在なの?と聞かれて少し黙るロージィ
そしてまた遠くを見ながら穏やかに話しを続けた。

「母は、私をプリマドンナにしたくてバレエ教室に通わ
せたの、私も踊ることは好きだった。
でも、父の側にいて料理を覚えるのも好きだったの。
レッスンの帰りに、自転車に乗って市場に買出しに行く。
海沿いの潮風を浴びて…
今にして思えば、あの頃が一番幸せだった」

そう思い出を綴るロージィの目元が、少し滲んだ。
盟は、それがどうしてデュポアと結婚したのかと問いた
かったが、今は彼女の話を全て受止めようと思った。

「私が18歳になって、本格的に進路を決める時だったわ。
母が…事故で亡くなったの」
「…!」

食材の買出しのため、車で山越えの最中に瓦礫が崩れて
きて、ロージィの母は車ごと崖から転落したのだという。

突然の妻の死に、ロージィの父ロッソ・レジェの落胆ぶりは
激しく、店を開けることもままならず酒びたりになった。
ロージィは進学を考えていたがそれを諦め、父に一緒に
店を建て直そうと説得する。
父は、俺はいいからお前の好きな道を歩め、俺はこの店
を手離して他の料理屋で働くと言い出したが、それにロー
ジィは怒り、親子の間柄も冷えていった。
そこに、一人の男が現れた。

ダニエルである。
ダニエルは、この店は自分が買い取って新たなアミュー
ズメント施設として立て
直したいと父に申し出てきた。
胡散臭い相手にロッソ・レジェは返事を渋るが、ダニエル
は「貴方ほどの腕の料理人なら、私の経営するレストラン
の一つに店長候補として招きましょう」と打診する。
ただ、ある期間他の土地に単身出向いて研修して頂くた
め、娘さんとは離れ離れになりますがと言われ、店を買い
取る金額を小切手て提示された。

その金額にロッソは即答した。
このまま妻のいない寂れた店に縋るよりは、大枚を手に
入れてロージィを幸せにしたほうがと、契約書にサインを
した。

ロージィは怒り悲しみ、何故あの店を捨ててしまうのと
父に泣きついたが、それがお前のためだ、暫くはあの人の
元に身を寄せて進学しろと一方的に言われ
すぐに父はニースから旅立っていった。

一人残されたロージィは、頼る相手も無く身の回りの荷
物をまとめ、パリにあるダニエルの邸宅に身を寄せた。
ただカットしただけの短髪で、洗い晒しのシャツとジー
ンズ姿のロージィを見たダニエルは、言葉では歓迎する
口ぶりで招き入れ、綺麗な部屋を与えたが、影では

「まったくこ汚い田舎娘だ…まあ、身体つきは悪くない。
少し磨けば買い手も付くか」
そう側近に漏らしていた。

ロージィが邸宅に来て間もなく、ダニエルにパーティーの
出席を勧められた。
今まで社交場などに出たことも無い彼女は始め断ったが
「私の所に身を寄せている間に社交界のマナーも覚えて
おけば人生の役に立つよ」と
押し切られた。

「初めてドレスを着たわ、何人ものエステシャンやコー
ディネーターにセットとメイクを施されて…何カラットもする
ダイヤのネックレスやピアスを身に付けて、心が踊った」

ロージィは、磨き上げられて美しく変身し、その姿を見
たダニエルは気が変わった。
本当はパーティの席で何処かの富豪にロージィを売りつ
ける算段だったが、手元に置いて自分の慰み相手とその
容姿で稼がせる事を思いついた。

だがまだ10代のロージィに、その思惑を気付く事は出
来なかった。

「何もかもが、夢のような出来事だった。華やかなパー
ティ、映画のような社交界の中に入って、高価な装いと
賛美を纏って…長年夢見ていたプリンセスになった気分
だった」

私…とロージィは恥ずかしそうに続ける。

「6歳の時からバレエを習っていて、母もプリマドンナ
になる夢を見ていたのだけれど…初めての発表会で
充てられた役は、白鳥の湖のジークフリートだったの」

意味が分からずきょとんとしている盟に、苦笑して答え
る。
「王子様の役って事よ。スクールには男子がいなくて、
私一番身長が高かったから…いつも男性役ばかり。
仕方ないって思っていても、一度はお姫様になってみた
かった。誰でも思うわ、女の子なら」
盟は
「…僕が出会った時の貴方は、プリンセスともクイーン
とも呼べる程に輝いてました」
と真面目に答える。
「ありがとう、でも…」と遠くを見る。

「私も始めは浮かれていたわ。モデルの話を持ちかけら
れた時は、少し恥ずかしかったけれど、売れ始めてダニ
エルからプロポーズされて、最も幸せな女性と呼ばれて
…有頂天になっていた…でも」

ロージィは、そのうちダニエルのサディスティックな性癖や、
金に汚い部分が明るみに出て、少しずつ不信感を抱いた。
ダニエルはそんなロージィに監視を付けて一日中自分の
管理下に置いた。
そして、ビジネスのためとロージィの肉体を賄賂の代わ
りとして各界の実力者に抱かせた。

「…結局、私を輝かせていたものは、虚栄と嘘から作り
出された紛い物だったんです。
いえ、表面だけを見て考えもなしにあの男を受け入れた
自分の弱さが悪事の手助けしていたのです…」
「ロージィ、その事は父も言っていたけれど、過ちに気
が付いてそれを正せば何も遅くない僕もそう思う。だか
ら…!」
「盟…」
「もう一度言うよ、君の手助けをさせて。また君が一番
幸福だった時に戻れるように、僕達にも協力させて欲し
いんだ」

ロージィは目を潤ませて震える声でありがとうと礼を言い
「私より、盟はずっと大人だわ。こんなまっすぐで大き
な気持の人…暫く会わなかった。それに…本当に嬉し
かった。昨日ダニエルを告発したとき証拠を求められて
迷っていた私を「潔白だと」庇ってくれて」
「……あ、あれは…結局デスの助言で」
「そう、貴方とその人の繋がりに、私は助けられた。感
謝する事はあっても偏見はこれっぽっちも無いわ
それに…少しうらやましかった」
「?」
「遠く離れていても、気持が繋がっている。そんな貴方
達に」
再び、盟の顔に赤みがさす。
「私みたいに上辺だけで人を選ぶよりずっと、盟の方が
…人を愛する事を知っている」

熱い目で盟を見るロージィ。盟は少し考えてから沈んだ
表情になり
「いいえ…」と首を振った。
どうして?とロージィが問う。
「あれは…愛なんかじゃなかった」
「え?」

今度は、盟が遠くを見て語り始めた。

「愛って、誰かを思いやったり、守ったり…そんな風にして
上げたい気持だと思う。
でも、あの頃の僕はいつもデスに頼って、我儘を言って、
守ってもらっただけだった」
「盟…」
「そんな僕を、デスは命をかけて守ってくれて、僕の我
儘を聞いて…僕を受け入れてくれて…そして、全ての
責任を背負って、去って行ったんです」
自身を責めている盟に、ロージィは「ねぇ」と問いかけ
た。
「過去、何があったか…良かったら聞かせて」

盟は、ぽつりぽつりと話し始めた。

「彼は去年まで…僕のガードの一人でした。それ以前に、
僕がイタリアに留学していた時、どうしてもサッカーを観た
くて、シチリアで脱走したんです」
「まあ」
「お付の者達の手から逃れようと入り込んだアパートで、
デスと初めて会いました。
そして、僕のサッカー観戦に協力してくれて自由奔放な
一日を共に過ごしてくれた。それが出会いです」

素敵な出会いねと、ロージィは応える。

「その翌年、彼は僕のガードとして現れて…でも前のよ
うに気さくじゃなくてお堅くて、僕はそんな彼の態度に苛立
ちました。彼の気持も分からず。そして僕の我儘な行動で、
彼…デスは、僕を庇って、銃弾に倒れました」
「それが…あの南米の」
はいと盟は頷く。
「彼の見舞いに行って、そこで自分の気持に気付きまし
た。デスの事が好きだって。そして、彼が退院して…そう、
こんな秋の日に…求め合いました」

盟は反省するように続けた。
いけない事と分かっても、その後ずっと彼が欲しくて欲
しくてどうしようもなくて、強引に部屋に押しかけました。
その次の日、彼は…全てを父に打ち明け、一人で責任
を負って…ガードを辞めました」
「…そう、だったの」
「僕は…彼に何もして上げられなかった。それどころが、
辞めてなお僕を守る為に…」
盟はうなだれた
「地球の裏側に、いたなんて…」
だからと、盟はロージィに顔を向けた。
「デスは、僕を愛していてくれたかもしれないけれど…
僕は甘えてばかりでした」

「そうだったの…でも、これで分かったわ」
「?」
「盟が、とても優しくて強くて広い気持を持っている訳が」
えっと盟は驚く。
「全身を掛けて愛してくる人がいたのね。だから、人を
思いやれるのね…
盟、貴方にとって辛かった恋だったかもしれないけれど、
とても素敵な事だわ、愛を知るのは」
「ロージィ…」
「羨ましい。私もそんな思いに…身を預けてみたい…」

目を潤ませて語るロージィの言葉に、盟の胸が大きく鳴
って、心臓に微かな痛みすら感じられた。
俯き加減なロージィの、メイク無しでも薄紅に色づいて
ふっくらとした唇や、ナイティの胸元の豊かな膨らみに
目を奪われ、鼓動が止まらない。

「盟と会えて良かった。感謝しているわ」
柔らかな笑みを向けられて、盟は鼓動が耳元にまで達し、
言葉もしどろもどろになってきた。
「い、いえ…マダムロージィ。事態が収集するまでは…
ここを、自分の家と思って…ください」

そこで、ドアのノックが鳴った。
焦るように返事をする盟、入って来たのは沙織だった。
学校の制服姿で、手にケーキの小箱を持っている。

いったいどうして?父上に言われた事を忘れたのかいと
諌める盟にツンとして
「自宅に戻る理由なんて幾らでもあります。そういうお兄
様だって、いつもより帰りが早いようですけど?」
そう釘を刺されて、次の言葉が続かなかった。

沙織はロージィに向くと優しく笑って
「お加減は如何ですか?これ、銀座の有名なパティシエ
のお店で買ったショコラケーキです」
とケーキを出した。
盟は半分呆れながらもほっとした気持で
「ここから先は、レディースオンリーの世界だね。じゃあ
ロージィ、ゆっくり療養して下さい」と
一礼して部屋を出た。

****

盟はニコルと辰己のいる部屋を訪れ、今しがた聞いたロ
ージィの素性を短く伝えると
「彼女の父親…今は何処にいるのか分からないらしい。
探してあげたいんだ」
そう二人に頼んだ。
ニコルは、是非とも協力いたします。ただ今は緊迫した
事態ですので、まずは総帥に伺ってみましょうと応えた。

そしてニコルは突然腰を上げると、厨房に行ってきます
と一人部屋を出た。
行動の意味が掴めない盟と辰己、少し待っていると光政
が帰宅した。
盟が、ダニエルの様子はと聞くと
「大げさ過ぎる位嘆いておったよ。まったく白々しい。
しかも、ショーのキャンセル料やチケットの払い戻しについ
ても、日本の手続きが分かりにくいのでまずはグラードで
負担してくれと来た」

マダムの言った通り、がめつい男だと光政は怒り呆れて
穿き捨てた。
ところでマドモアゼルの様子はと光政が訪ねると、盟は
「今、沙織が見舞ってます」
とこちらも呆れた口調で返した。
光政は次に、テロ撲滅メンバーの動きについて説明をする。
「すでに動いているらしいが、慎重を要するため計画の
詳細は極限られた者たちしか知らないらしい。よほどの
事が無い限り、私たちは蚊帳の外という訳だ」
それを聞いて盟はもどかしさを感じた。
デスはどう動いているのだろう、生命に危険は無いのだ
ろうかと不安感が占める。
それと…と光政は続ける。

「私が今日ダニエルを訪れた事により、向こうが私たち
をマークする可能性が高くなると思われる。
沙織はもちろん、盟おまえもマダムを危険に晒すような
軽率な行動は避けなさい」そう穏やかに制した。

****

翌朝、早い時間に盟と沙織、それに光政はロージィの元
を訪れた。
ロージィの熱は殆ど下がり「迷惑を掛けました。もう起
きる事も出来ます」と言う彼女に光政が
「それは良かったが、マダム貴方はまだまだ危険に晒さ
れている身です。不自由とは思いますがなるべくこの客間
からお出にならない方が良い」と願い出て
「盟、沙織、昨日は許すが、今後暫くは行動を慎みなさ
い」と諌め、二人は仕方なしに頷いた。

そこに、ニコルが入ってきた。
「少し早い時間ですが、マダムの為に特別な朝食を作り
ましたのでよろしければお運びします」
と申し出てきた。
盟は、彼が何故そんな事をするのか意図が掴めなかった
が、少しでもロージィが元気になるならと思い。
「僕達も一緒に朝食を良いですか?」とロージィに願い
出た。

少し経って運ばれてきたのは、よく焼けたクロワッサン
と、新鮮なオレンジジュース。
それに、数種の野菜をトマトで煮込んだ料理であった。
「これ…もしかしたら…」と震える声で言うロージィに
「ラタトゥユです。お口に合うかどうか分かりませんが」
とニコルが答える。
盟は料理を見て
「イタリアで食べたカポナータに似ているね」と一口運
んだ。
ラタトゥユは南仏地方の代表的な料理で、爽やかな酸味
と野菜の旨みが重なって、優しい味に仕上がっている。
沙織も「とても爽やかで美味しいわ」と声を上げた時、
フォークの落ちる音が室内に響いた。

音の方を向くと、ロージィが肩を震わせて口に手を当て
ている。
どうしたのと盟が腰を上げようとすると、ロージィの目
から大粒の涙がこぼれた。
ニコルは慌てて
「お口に合いませんでしたか?」と訪ねると、ロージィ
は必死に首を振って、咽びながら
「いいえ…いいえ!とても美味しい…凄く、懐かしい味
です。このハーブの利かせ方…どうしてニースの味をこ
んなに…」
ニコルは
「私の叔母の一人がニースに住んでおりまして、昨日電
話をして聞きました」
そう返した。

ロージィは「そうだったの、ありがとう…」と涙ながらに
ラタトゥユを口に運ぶ。
盟は「ロージィの、お店の味?」と聞くと
「とても近いわ。でも、私の父はこれに自家製のソーセ
ージを少し入れるの」と懐かしそうに言う。
涙ながらに故郷の料理を口にする姿を見て、誰もが胸を
打たれる。
沙織は「何でも手に入ると思っておりましたのに…好き
な物を食べるのもままならなかったのですか?」
と同情するように聞くと。
「ダニエルは、ニースや他の地方を田舎と見下してまし
た。それに私も、父に裏切られたと思う気持が強くて…
故郷を出てからニース方面の料理は口にしなくなって
いたのです。でも…」
皿の上のラタトゥユを見つめて続ける。
「やっぱり、あの街が好き…あの土地で生まれた料理が
一番好きだわ…ありがとうございます。私に故郷を思い
出せてくれて」とニコルに礼をする。

涙ながらに朝食を口にするロージィを見て、光政は先に
失礼しますと部屋を出ると、昨夜の盟の言葉を思い出し
ていた。

(彼女は潔白だ…!!)

「潔白か…息子の目は、間違っていなかったようだな」

そう独り呟いた。



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