泣かせて下さい
と、男は膝を付いた
語らせて下さい
と、男は咽った

過ぎた事なのは分かっております
今更なのも分かっておりますと
男は嘆いた

「構いません。聞かせて下さい」

優しい、声が返した。

石の床に膝を付き手を付き
石の床に滴を落として

十余年もの、間
溜めて溜めて溜めて
何処へも出せずにいた
記憶の束を

時が流れても留まり続け
己が内に閉じ込めいていた
在りし日の出来事を

嗚咽の流れで押し出し始めた。


私が…


私が、城戸邸に仕え始めた時
奥様は、既に身重でした。

旦那様の子を宿して間もない頃です
奥様の、最も幸せな時でありました。

応接のソファに座って、上品な和装で
柔らかい笑顔で、なんと奥様から先に
頭を、お下げになりました。

「世話になります」と

それが奥様の、私への始めての言葉でした。
大財閥の奥方でありながら、なんと腰の低いお方と
むしろ、ただただ恐縮しました。

その直後、旦那様から驚くべき事実を
告げられました。

奥方様は、両の足が不自由で
お目も、全く見えない身体でした。

よく見れば、にこやかに私に向けた
あの、澄んだ大きな瞳は
焦点が定まっていない事に気づきました。

奥様の名前は、盟子(ともこ)様と言いました。

はい、そうです。

「とも」は盟様の名前と同じ字です。

旦那様が、数多の女性の中から盟子様を
正妻として迎えたのは、
とある、不慮の事故からです。

その日は、大雨だったそうです。
盟子様が交差点を横切ろうとしたとき
スピードを出しすぎたトラックが…
ブレーキを踏んでも、間に合わず
盟子様は逃れようと駆け出しましたが、
跳ね飛ばされ、頭部と脊髄に損傷を…

その事故が元で、
盟子様は足と光を奪われました。

事故を起こしたトラックと運転手は、
当財団の子会社のものでした。

はい。
その話は、即刻旦那様のお耳にも入りました。
以前パーティーで盟子様をお見掛けして
細やかな気遣いをする女性だと、
気に留められていた旦那様は
迷わず、盟子様を正妻に迎えました。

盟子様は、ご自分のお身体を気に止んで
断り続けていたようですが
終には、旦那様がお手をついてまで
娶ったと
旦那様のいない所で、奥様が教えて下さいました。

私が始めて奥様とお会いした日
奥様は私の手を触らせてくれと申されました。

「私は目が見えないから
 こうして人を「見る」の
 そんなにあがらなくていいわ
 これが私の挨拶なのよ
 
 ……まあ、とっても大きな手
 
 剣道、おやりになられているの?
 頼もしいわ

 色々と、面倒を掛けるかもしれないけれど
 これから、よろしくお願いします」

不自由があれば、何なりと申し付けてくれと
私の方が仕え従う立場なはずなのに…

はい…良い家に仕えたと
生涯、ここにお仕えしようと
その時、心に決めました。

奥様は
そのようなお身体でありながら
とても積極的なお方でした。

5ヶ国語を扱う事が出来き、財団が運営している
慈善事業団体の運営の協力や
奥様と同じく事故に合われた方々へ
励ましのお手紙など良く出されておりました。

旦那様とパーティーへも出向き
物怖じせず明るく振舞われており

正に、城戸家の正妻として
申し分ないお方でした。

身重になられてからは、邸宅におられる
事が多くなりましたが
良く、ピアノをお弾きになられてました

はい、そうです。
お嬢様がお使いになられていた
あの、グランドピアノです。

本当に、手先の器用な方で
編み物がお好きでした。
メイドの助けを借りながら
生まれてくるお子様が身に付ける物を
良く作っておられました。

あの当時、私は旦那様より奥様によく付いておりました。
身重で不自由な身体だから、盟子の側にいてくれと、
旦那様からご命を受けておりました。

中庭で車椅子を押しているとき盟子様は、ふと私に
「お好きな色は何ですの?」
と尋ねて来ました。
何故にと尋ね返しましたら…

…お恥ずかしい、話になりますが

私に、マフラーでも編みましょうかと
言われて、来たのです。

子供向けの小さい物ばかり編んでいると、
大きな物が編みたくなってくると
貴方は身体が大きいから、毛糸玉を沢山使って
編みがいがありそうと
屈託の無い笑顔でそうおっしゃられ
流石に、ええ…焦りました。

まずは旦那様でございましょうと言いましたら

「あの人にはもう、マフラーを5本、セーターを
 3つも編んだの。たまには違う人へも編みたいわ」と

美しい、大きな瞳を向けて
私に、おっしゃってくれました。

あ、いいえ…
まずはお子様の事を先にと
…その言葉だけで、十分でしたので。

ですが…

お腹が、大分目立たれた頃。

育っていくお子様とは逆に

奥様の身体は、急激に弱って行きました

元々、脊髄の損傷が激しく、妊娠された時から
病院には頻繁に通い
お身体には、事細やかに配慮されておりました。

それでも
事故で負った傷がよほど大きかったのでしょう
手を尽くした治療も追いつかず、ある日
旦那様と奥様は共に病院に呼ばれました。

「最悪、奥様の命か、お子様の命かどちらかを、
 選ぶ場合がある」と

旦那様は悩みました。
当財団の医療技術を駆使して、両方とも助けたいと
その為にはご自分の財産を投げ打ってもいいと

しかし、医者は首を縦に振りませんでした。

旦那様は、それならば奥様の命の方をと
言いかけたとき

私は、その時ドアの外にいたのですが
奥様の声が…叫びがはっきりと届いてきました。

お願いします、子供を殺さないでと
私の命と引き換えにこの子が産まれるのなら
惜しくありませんと

あんな、奥様の叫びは今まで聞いた事が
ございませんでした。

常日頃より、私を始め邸宅の使用人の誰に対してでも
にこやかに穏やかに語りかけていた奥様です。

その奥様が
半ば取り乱してたように泣き叫び
「子供を助けて下さい」と
幾度も幾度も幾度も繰り返して懇願する
その声に…

声に、抑えようとしても涙が止まりませんでした。

すぐに、財団の医療関係者が収集され
奥様とお子様の命を守るため、連日の会議が行われました。

奥様はすぐに入院なされ

あと、一ヶ月

あと一ヶ月身体が耐えられれば
お子様を無事取り出す事が可能かもしれないという
結論が、出ました。

その間、私も殆ど奥様とは会えませんでした。
人と会う事自体が、気を使って体力を消耗すると言われ
面会謝絶の状態が、一ヶ月続きました。

お子様を取り出す手術の三日前でした。
一度、奥様を見舞うことが出来ました。
体中に管と点滴を付けられ、
おやつれになっている姿は痛々しくありましたが
あの、暖かい笑みは変わらず
私のいる方向に顔を向けて下さり
そして

マフラーの色、まだ聞いてなかったわね
子供の事が落ち着いたら、編みたいわと…

どうして…
どうしてそのように、人への細やかな心遣いを
絶やさずにいられるのでしょうか?

ご自分の事が何よりも大事な時期というのに
私なぞの…

私なぞの事など、道端の石とでも思ってくれても
構いませんのに…!!

奥様とお子様の健やかな姿があれば
他に、何もいりませんと言いましたが
奥様に、哀しそうな表情をさせてしまい…
でしたら、奥様が落ち着かれたとき
その時、自分で毛糸を買ってまいりますと
そう、約束しました。

「楽しみだわ」

奥様は嬉しそうに、答えて下さいました。

それが…

それが、私と奥様の
最後の、対話でした。

お子様を取り出す手術の日が来ました。
財団の総力を挙げて、最高のスタッフと
最新鋭の機材の中
奥様も、そしてお子様も良く耐えました。
お子様は
予想以上に健康体な男の子でした。

奥様は
「これで、あの人の役に立てたわ」と
麻酔から覚めてそう語ったそうです。

ところが

その翌日
急激に奥様の容態が悪化しました。

手術の時に張り詰めていた精神が緩んで
それが、悪化に繋がったのだろうと
後に、旦那様は苦しそうにおっしゃりました。

瀕死の状態の中、奥様は必死に
「子供に会いたい」
と付き添っていた旦那様に訴えました。

もう、医師もなす術が無い状態だったそうです。
旦那様は意を決して
奥様のベッドを保育器の側まで運ぶよう
願い出ました。

奥様にとって「会う」という事は
その、お手に触れる事です。
未だ保育器の中の赤子は、外気に晒すのにも
危険が伴われるため
奥様はその胸に抱くにはいたらず
手を触れるだけに留められました。

お子様の身体に触れたときの奥様を、
旦那様は後日

「今まで私が見た中で、最も神々しい笑顔」と

おっしゃられてました。

奥様は、旦那様に

「呼びかけたいけど、名前は考えていて下さいました?」

と尋ねました。

旦那様は、幾つかお考えになられていたようですが

それらの名前とは、全く違った名前を
とっさに、出されました。

「お前の名前の字を貰って「盟」と名付けた」と

奥様は涙され、お子様に呼び掛けました。



「こんにちわ、盟」


こんにちわ、盟

お母さんよ


…ごめんなさいね


ごめんなさいね、貴方…

そして

ありがとう、貴方


ありがとう、盟



もう微かな呼吸の中
それが、奥様の最後の言葉だったそうです。


邸宅に
無言の帰宅をなされた奥様を
純白の花々に埋もれて
幸福な…
そう言うしか出来ない程の
幸せそうな、笑顔で
棺に横たわる奥様を

屋敷に仕える誰もが、涙で迎えました。

私共が暫し嘆き続けるのを
旦那様はただ、見守って下さいました。

そして、奥様の喪が明けて間もなく

盟様が、おいでになられました。

灯の消えたような邸宅に
新しい灯が、点りました。

誰もが、盟様を心から可愛がり
慈しみました。

城戸家の嫡男、財団の後継者としてだけでなく
盟子様が
あの優しい奥様が、自らの命を投げ打って
この世に迎え入れた子です。

光栄にも旦那様は
盟様の守役を私に仰せつかって下さいました。

旦那様は、腕に抱かれておられた盟様を
私に差し出して下さいました。
手が、震えました。

盟様を、始めて抱いたとき
私に向けられたその目は…

その目は
私が始めて奥様と出会った時に向けられた
大きく澄んだ眼と
全く、同じ。
変わらない瞳が、私に向けらておりました。

この子を、誠心誠意お守りします
立派にお育てしますと
旦那様と、そして
盟子様へと、誓いました。

盟様は、健やかにお育ちになられました。
まだ一歳にならぬうちに、お一人で歩き始め
言葉の覚えも早うございました。

一つと半ばの頃でしょうか。
中庭で、遊ばせておりました時のことです。
少し離れたところから、私の所へ小走りに
近づきながら、小さな両の手を差出し

「たつ」

と、私を呼んで下さいました。

まだ少し舌の絡まった、可愛らしい声で
「たつ、たつ」と
この名を呼んで
手を広げて歩み寄って下さいました。

奥様だけではなく、そのお子様までもが
なんと、優しく接してくれるのかと

ただ…自分には勿体無いだけの
幸福な、一時でした。


盟様が、お二つになられて間もなく

はい。
お嬢様が、邸宅に参りました。
旦那様が孫娘として迎え入れ
盟様にも、妹として大切にしなさいと
そう、教えておられました。

お嬢様。
正直に言わせて下さい。
始め、旦那様からお嬢様の素性を告げられても
半信半疑でした。

いえ、旦那様が現実的なビジョンをお持ちな方
である事は重々承知です。
その旦那様がおっしゃられるのだから、間違いは
無いだろうと頭では思っても
矢張り、心の何処かで疑いはありました。

しかしですがお嬢様。
その疑いは、すぐに貴方様によって取り払われました。
私が、お嬢様を胸に抱いてあやしていた時の事です。
何か、身体が温かいものに包まれました。
そして、お嬢様の内から、柔らかな金色の光が
滲み出て
えも言われぬ、広い広い世界の中に立った感覚に
なりました。
これが、小宇宙というものかと
これが「神」というものかと

まだ赤子のお嬢様は
その身をもって、私に伝えて下さいました。

盟様は、とても聡明な方でした。
旦那様のお言いつけ通り、お嬢様をとても可愛がり
まだ抱き上げる力も無いうちから、
無理に、お嬢様を抱き上げようとして
幾度、肝の冷える思いをしたか分かりません。

お嬢様が少し大きくなり、歩き始めるようになると
盟様の後を、いつも付けておられました。

盟様が少し早く歩いてお嬢様が付いていけず
座り込んで泣き出すと
盟様はすぐに駆け寄り
私の真似をして、抱くかおぶろうとするのですが
共に倒れこんでしまい二人で泣き

そのうち、手を繋いでお嬢様の歩幅で歩くように
なりました。

いいえ…まだお嬢様が二歳くらいの時ですから
覚えているのは、難しいでしょう。

その頃から
あの計画が、始まりました。
はい、旦那様のお子を聖闘士の修行に出すべく
その前段階として、施設に入れて
修行前に相応の訓練をさせる計画です。

はい。
勿論、盟様は跡取りとして
邸宅で、総帥としての教育を施すお考えでありました。
それも、聖闘士の育成と保護に繋がることでしたので。

それは、盟様が6つになられた時です。
旦那様の血と奥様の血でしょうか。
盟様は、良く大人の言葉を理解いたしました。

今となれば、それが仇になったのでしょう。

旦那様と私は、旦那様の書斎で
孤児達の扱いについて話をしておりました。
聖闘士の修行という地獄に出すのだから
普段より、情けは禁物と
むしろ、今から底に突き落として
這い上がる術を学ばせておくようにと

実の子を、地獄に落として
蔑まれ恨まれる父になる。

それが自分の天命と言い切った旦那様に
私も、同じ轍を踏ませて頂きますと

そう言った時、ドアが開きました。

盟様が、真っ青な顔でお立ちになられておりました。

私は、その場を取り繕うとしましたが
逆に旦那様は、良い機会だと
盟様に、全てを打ち明けました。

旦那様のお考えでは、盟様には嫡男として
生き残ってきた聖闘士の上に立ち援護を
行う位置に就かせたかったのです。
そして、アテナとして成長しつつあるお嬢様の
支えとなる事も、望んでおりました。

しかし
盟様は何も言わず席を立ち
そのまま、ご自分の部屋に戻られ
丸一日、鍵を掛けて出て来られませんでした。

私がいくら呼んでも返事はありません。
旦那様の呼びかけにも、応えませんでした。

ですが
お嬢様、貴方が
いつも遊んでくれる盟様を探して
部屋のドアの前で「兄様」「兄様」と
泣きながら呼びかける声に
やっと盟様は、ドアを開けられました。

ところが
次に盟様の口から出た言葉に
私も、勿論旦那様も
驚き、身が凍りました。

自分も、修行に行くと
他の兄弟と、同じ扱いにしてくれと

理由は…先に盟様が言われた通りです。

自分ひとりが恵まれた育ちかたをして
生き残ってきた兄弟と対等に向き合う事は出来ない
ましてや、そんな自分が上に立っても意味が無いと。

それまで、旦那様に対して素直だった盟様の
最初で、最後の反発だったのかもしれません。

止めました。
私は盟様に縋って、このまま邸宅で
お嬢様を共に守りましょうと
それに、貴方を産んだ奥様の…
そう言い掛けた時、旦那様に諫められました。

旦那様と盟様は、二人きりで話をしました。

はい。結果はその通りです。
盟様は、城戸の姓も家も親も捨て
他の孤児と、同じ道を取りました。

旦那様に
私は願いました。
どうにかして、盟様をここに留める事は
出来ないのかと
初めて、旦那様に詰め寄りました。

旦那様は、幾分落胆してはおりましたが
穏やかで落ち着いており
紙とペンを出して、そこに一つ文字を書きました。


  「盟」


その字は

同じ、誓いを立てて
共に仲間になろう、同胞となろうという
意味合いがあると

旦那様は、教えて下さいました。

あの子は、己の名に従ったのだと

淡々と述べるその目は
苦悩に、溢れておりました。

ご自分が、息子にその名をつけたこと

そして、ご自分の息子をせめて一人だけでも
手元に置きたいと思うのは
所詮「甘え」であったと

その甘えを盟様に見抜かれたと
その甘えを天は許さなかったと

淋しそうに溜息をついておっしゃられました

泣き崩れる私に、旦那様は

「盟子には、私があの世に行ったら土下座して詫びる」

そう、おっしゃって下さいました。

決まってすぐに
盟様は、家を出る仕度をなさいました。
仕度、と言っても
物を用意する仕度ではなく
物を、捨てる仕度でした。

玩具や書籍は全て孤児院に寄贈し
写真や日記の類は全て焼却されました。

新たな、城戸家の後継となる
お嬢様の、ために
盟様の痕跡は一切残さぬようにと
全て、旦那様の指示でした。

盟様は、最後の日まで
お嬢様の側に、寄り添っておられました。
自分の痕跡が消され行く様を見せたく
無かったのでしょう。

邸宅から離れて、庭で遊んでおりました。

その日の、夜遅く。
盟様は、裏口からお出になられました。
お嬢様が深く眠ってから家を出たいという
盟様の願いでした。

その時の盟様の出で立ちは
見ている方がお辛かった。

今まで、皺も染みも無いオーダーで仕立てた
衣服しか身につけなかった方でした。

その盟様が、幾日も洗濯をしていない
泥と染みで汚れ臭うシャツを身につけ
膝と裾が擦り切れて、身体に大きいズボンをはき
毎日メイドが櫛を通して整えていた髪の毛は
わざと縺れ絡ませて
これもまた、薄黒く染まった大き目のスニーカーを履いて
父親の見送りも無く、財団の者が一人横に付いただけで、
邸宅の裏口から出て行かれました。

涙を堪えていた私に、私たち使用人に

「沙織のこと、よろしくお願いします」

そう告げ、深く頭を下げて
ドアを、閉めました。

翌日
私は、盟子様の墓前に出向き
何度も、何度も詫びました。
もう、それだけしか自分には出来ませんでした。
いいえ、何も出来はしませんでした。

お嬢様
これは少し、お辛い話になりますが…

それから暫く、お嬢様は毎日のように
盟様を、お探しになられました。

始めは、私を始め代わりの者が遊び相手になって
お気を、紛らわせる事が出来ましたが

やがて、長い間邸宅に盟様がいないことが不安に
なったのでしょう。
誰の手をも振り切って、盟様を探し続けました。

まだ、3−4歳のお嬢様が
あの広い広い邸宅を彷徨い
一つ一つの部屋を隈なく探し
小さいお身体で階段を懸命に昇り
終いには、お衣装も髪も埃塗れにして
痛んだ足を引きずって

「兄様」「兄様」と

泣き続けて、止みませんでした…

あの時ばかりは…
あの時ばかりは、もう
旦那様と盟様の御言いつけを破り
今すぐにでも施設に赴き
盟様を引きずってでも
邸宅に
お嬢様の元に戻らせたかった!

ですが旦那様は、静かにこう申されました
これも、お嬢様の試練ですと。
女神として乗り越えなければならない試練の
まだ、ほんの少しの壁だと

お嬢様?
ああ、嘆かせてしまいましたか…!

「いいえ、大丈夫です。続けて頂戴」

はい…
盟様が施設に入られてからは
言われたとおり、盟様を目で追わぬようしました
それでも、始めは
馴染んだお姿でございましたので
数多の孤児の中にあっても
矢張り目に止まってしまいました。

ですが半年・1年経つともう
お姿も素行も溶け込んでしまい
終いには、修行地の選択する籤を引かせる日まで
どの子が、盟様だったのか
少し見ただけでは、分からなくなっておりました。

はい…ええ…
お察しの通りです。

旦那様も盟様も、とうに吹っ切れておられて
おりましたのに
この私だけが未だ未練がましく
実は、籤の箱に細工をしておりました
盟様の番になったら、少しでも楽な
修行地に当たるよう
…申し訳ございません。

ですが
あの修行地を選ばせる運命の日に
一輝と瞬が、修行地を換える換えないで
いざこざが起きたときのことです

盟様はその騒ぎの間を縫って
さっと籤をお取りになり
翌日、シチリアに発ってしまいました
見抜かれて、いたのでしょうな
それと
あれが私への心遣いだったのかもしれません
常に人への気遣いを忘れない奥様のように…

きっと…
きっと戻って来られると、信じておりました!
そう思わなければ、盟子様の墓前に
顔向けが出来なかったのもあります。

はい。
銀河戦争のとき、ついに戻らず
死亡通知だけが送られて来た時は
激務の合間を縫って深夜
墓前に、詫びに行きました。

もう諦め切っていた今日
生きておられたと知らされて
日本で連絡を受けたとき早速に
旦那様と、奥様の墓前に報告いたしました

流石お二人のご子息ですと
もう、嬉しくて嬉しくて…
急ぎ、この聖域まで赴きました

あの時盟様は、病から覚めたとあって
お顔の色はふんだんに優れず
髪の色も変わって驚きはしましたが
あの眼は、変わっておりませんでした…

ただ、城戸の家にも戻らず
出生を明かす気は無いと言われた時には
正直、落胆しましたが
それでも、生きておられるだけで十分と

この、闘いが終わったら
せめて、日本に一度赴いて頂き
旦那様と、そして
奥様の墓前に
一度でもお姿を見せて下さいと

そう
願い出る、所存でした。



それが……






そう、でしたか





「封印」





それが、盟様の
ご宿命、でしたか

聖衣と共に
邪神の封印と成り続け
この世界の破滅を食い留める

それが、天命でしたか…

そのお役目を、無事果たせましたか

聖闘士は
己の命に従うことが
運命と
己の命を全うすることが
至福と

常々、旦那様から聞かされておりました。

盟様は

本懐を成し遂げた盟様には
もう

何の悔いも、迷いも無かったのでしょうな

私、だけが

私だけが、情けなくも
二度と戻らぬ年月を
口に出しても詮無き事を

ただ、ずるずると
醜く、引きずってます。

過ぎた事なのは分かっております
今更なのも分かっております

ですが…

ですが今、この辰巳には

あの、十数年前

まだ小さい小さい盟様が
お手を一杯に広げて私に駆け寄りながら

「たつ」



奥様と同じ瞳と、笑みを向けて

「たつ たつ」

と、お可愛らしい声で
この名を始めて呼んでくれた

あの日の事が

ただ今は、思い巡るだけです。

おそらくは、盟様自身ももう
覚えては、おられなかったでしょう
過去の記憶に囚われて

ただ醜く、引きずり
嘆くばかりです。