「Oh! mio babbino caro」

 案内されて目当ての場所にたどり着いて、俺は我知らず
息を吐いた。

 目の前にあるのは、周囲に比べて広さも大きさも
格段に立派な、墓石。
 石の面にはとてもシンプルにただ一言が刻まれている。

「城戸家之墓」

 それが、全てだった。



 俺は白い百合の花束を簡単に水揚げして花瓶に挿した。
 本当なら仏花が、せめて菊を買ってくるべきなの
だろうが、何となくこの墓の主にはふさわしくない
ような気がしたのだ。
 そもそも、完全に仏教式のこの墓地が、彼には似合わない。
絶対に、地獄へ行っているような人なのに。
 まあ、百合の花が似合うのかと訊かれれば返答に窮する
ところだが。
 そんなことを考えながら、真面目に手を合わせている
俺も俺だが・・・・


 父さん。
 胸の中で父にそう呼びかけて、そこで俺は言葉を失った。
言いたいことはいくらでもあると思っていたのに、
何も出てこない。
 不思議だった。俺は彼をどう思っているのだろう。
 今の俺に、彼のことを父と呼ぶ資格があるかどうかは
分からない。それでも、他の呼び方を俺は知らないし、
他の呼び方をしたいとは思わない。

 けれど、父と呼ぶにはあまりにも遠い人のように
思えた。
 いや、遠ざかったのは俺の方なのだろうか?
 ・・・・・・・・・・・・


「うっわー、派っ手な墓ー! 成金趣味だなーおい」

 星矢が素っ頓狂な声を上げた。

「死人にこれだけかける金があるなら、生きてる者に
ちょっとでも回せよな」
「全く。こういうのが金持ちの発想なんざんすねえ」
「権力者が自分の権勢の証に立派な墓を生前から建てて
おくことはよくあるぞ。ピラミッドしかり、秦の
始皇帝陵しかり」
「そんな、それこそ昔の王侯貴族の発想だろうが」

 檄、市、紫龍、蛮・・・・・・・

 俺の横で、沙織と辰巳が凍り付いていた。

「そうだ! 俺は前々からあのじーさんに訊きたい
ことがあったんだ」

 那智が声を上げる。

「何だ?」
「この中で!!」

 那智は兄弟たちをびしぃっと指差し、墓に向かって叫んだ。

「誰の母親が一番好みでしたか?!」

 弟たちの間で爆笑が起こった。

「ははは、それいい! それは俺も訊きたい!」
「訊きたいだろ?! 世界七不思議のひとつに数えても
良いくらいだと思うぞ、あのジジイの趣味は」
「そりゃやっぱり瞬だろ? これに似てたら絶世の美女だぞ」
「ねえそれどういう意味?」
「いや、それは待て。瞬の母親ってことは一輝の母親でも
あるんだぞ。一概にそう決めつけるのは非常に危険だ。
あっちに似てたらどうする」
「いや・・・・そんな想像するだに恐ろしい可能性は
あっても考慮したくない。瞬似の美人だったに違いないと
信じているのに」
「ねえだからそれどういう意味?」
「おい瞬、どっちが母親似なんだ?」
「知らないよ」
「そもそも、単純に面食いと考えるのはどうかと思う。
結果がこれだしな。意外と、個性的なのの方が好み
だったのかもしれんぞ」
「あ、でも、氷河のお母さんってすごく綺麗な人だよね?」
「俺的には、要するに生物学的に生殖可能な女性でさえ
あればどんなのでも可だったという説が一番説得力が
あると思うのだが」
「ははは、身も蓋もねえなー」

 ・・・・・・・・・・

「・・・・あのな、お前ら・・・・・頼むから、そういう
話は聞こえない場所でやってくれないか?」
「何言ってるの。聞こえるところで言わなきゃ意味が無い
じゃない」

 ・・・・・・・・・・・・・
 即答か・・・・強くなったな、瞬。
 にっこり笑って言い切った瞬の言葉に、後ろで好き放題
喋っていた弟たちは一斉にうなずきやがった。


 お父さん。あなたの息子たちは強くたくましく育って
おります。
 獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすと言いますが、
まああなたのやったことはそういうレベルの問題では
ないと思いますが、とりあえず10人ほどは元気です。
残り90人ほどはちょっと別ですが。本気でどう責任
取る気なんですか。さすがにあれは洒落にならんと
思うのですが。

 今にして思えば、彼らがみんな自分の兄弟であると
知った時、何故そんなに大量に兄弟がいるのかという
点にもっと疑問を持つべきでした。
 まあ当時は俺も十にもならない幼児だったわけで、
そういう方面に気が回ったらそれはそれで問題だった
ような気もしますが・・・・

 ・・・・いや、もうここまで来ると素直に純粋に
好奇心で訊きたいです。
 あんた一体何やってたんですか。最年少でアテナと
同年齢ってことは、最初からこのために子ども作り
まくったわけじゃないですよね。
 趣味ですか。そうなんですか。しかも、せいぜい
3年くらいの期間だけで百人。ハンパじゃねえ。
 つーか、出来るモンなのかそれは?!
 

 思わず人体と生命の神秘にまで及んだところで、
別の声がかけられて俺の思考は中断した。

「おーい、水汲んできたぞ」
「あ、邪武、ありがとう」

 水・・・・?
 俺の疑問をよそに、邪武は「盟、ちょっとどいてくれ」
などと言って俺をどかせると、俺のいた場所にしゃがんで
墓石の前に両手に持ってきたガラスコップのようなものを
置いた。
 ・・・・・いや、ちょっと待て。

「なあ。これ、何だ?」
「何って、水」
「いや、水は分かる。水を入れてある容器は、これは何だ?」
「ワン○ップ大関の空きビン」

 ・・・・・・・

「どこから持ってきたそんなもん!」
「入り口の横に自販機があっただろ。そこのゴミ箱から
拾ってきた。こんなものこんな場所で売る方も売る方
だけど買って飲む奴も飲む奴だよな」
「・・・・・・・」
「でも、ちょうどいいのがあって良かったよね。
はいこれ、邪武」
「おう」

 瞬が差し出して邪武が受け取ったのは・・・・・
花だった。ひょろっとした細長い茎に、小さな点々の
ような赤い花がぽつぽつとくっついた、可愛らしい植物。

「何・・・?」

 戸惑う俺を無視し、瞬は邪武の横にしゃがみこんで
もう片方の手に持っていたものを無造作に二つの束に
分けると、カップ酒の空きビンに挿した。
 これも花だ。真っ直ぐな茎に、青い花が幾つも
咲いている。見覚えのある花だった。

「瞬、それ何」
「ツユクサ」

 あっさり答えて、瞬は邪武を促す。邪武は手渡された
赤い花を露草の隣に挿した。

「これは・・・・」
「ミズヒキ」
「・・・・・・・」

 絶句した俺(及びさっきから絶句しっぱなしの沙織と
辰巳)をよそに、ふたりは立ち上がって場所を譲る。
 紫龍が苦笑しながら進み出た。即席花瓶に挿した
のは、黄色い花芯に白くて細い花びらがたくさん付いた、
菊を小さくしたような花。

「ヒメジョオンだ」
「・・・・・・・」
「・・・・ユキノシタ」

 円い葉と白い花の束を出して、氷河がぼそっと呟いた。
絶対、名前で選んだな。

「セリ。ドクゼリにしようと思ったんだけどなくて」

 白い小さな花が寄り集まって咲いている。那智だ。

「毒草を持ってくるなよ・・・・ああ、カワラナデシコだ」

 ごつい容貌に似合わない可憐な花を差し出す檄。

「コバギボウシな」
「ドクダミざんす」

 蛮と市が口々に言いながらそれぞれの花を差し出す。

 ・・・・・よいこのしょくぶつずかん(なつのくさばな)
か、こいつらは・・・・・
 最後に星矢が進み出た。手に持っているのは、細かい毛の
生えた小さな穂を付けた・・・・って、ちょっと待て。

「エノコログサ、と」
「いや、それ要するにネコジャラシだろ・・・・?」

 やっと声が出た。

「正式和名だぞ」
「・・・・まあそうかもしれんが・・・・て言うか、
それは花か? 花なのか?」
「花じゃないのか? 葉っぱとは違うだろ?」
「・・・・・」

 本屋に駆け込んで植物図鑑をめくりたくなったが、
そもそもこいつらは一体何を。

 俺はとりあえず、手近にいた星矢の首に腕を回して
締め上げた。

「星矢ちゃんや。ちょっと訊きたいことがあるんだがねえ」
「ぐぐぐぐびがじまる・・・・」
「この身長差、チョークスリーパーかけるのにちょうど
いいなあ。そうか、お前はこのためにこの世に生を受けたのか」
「せ、背のことは言うんじゃねえっ」

 お? 余裕じゃないか。

「別に低くないだろ? 平均よりあるんじゃねえの。
まだ成長期だし」
「るせぇっ。お前らみんなでかすぎんだよっ」

 ガキか、こいつは。・・・って、ガキだわな。

「あーよしよしきっとそのうち大きくなるからねえ。
がんばって毎日牛乳飲みなさい。
んで、星矢ちゃん。お兄さんの質問に答えてくれるかな?」
「・・・・首締めとちゃん付け止めたら答えてやる・・・・」

 うむ。素直でよろしい。俺は奴を解放した。

「あの花、どうしたんだ?」
「来る途中に空き地があってさ。色々咲いてたからちょうど
いいかと」

 ・・・・俺と沙織は辰巳の運転する乗用車で来たのだ
が、奴らは性に合わんとかなんとか言ってバスを利用して
来た。
 現実問題として運転手含めて12人乗れるような
自家用車はさすがにあんまり無いから沙織も止めな
かったのだが・・・・

「みんなで摘んできたわけか? あれを」

 夏の太陽の下、草原に野郎9人がしゃがみ込んで
お花を摘むの図。

 聞こえるものはうたかたの命を謳歌する蝉の声だけ。
人の世の無常を歌うかのようなその声が、全ての想いを
洗い流していく。

 閑けさや 岩に染み入る 蝉の声 by芭蕉 

 ・・・・ああ、これぞ侘び寂び。日本の夏・・・・

 ・・・・・・・・・・
 俺は壊れた扇風機のように思いっきり頭を振って、
脳裏に浮かんだ想像したくない光景を追い払った。

「・・・・・結構ダメージでかかったぜ。テュポンの
野郎のせいで全裸かましたことを知った時の次くらい
だ・・・・」

 一瞬気が遠くなったな。思わず意識が江戸時代まで
逃避したぞ。

「何だよ。文句あるのかよ」
「いや。文句というか」

 ちらりと墓石の方に目をやると、瞬が再び前に立とう
とするところだった。

「・・・・・あれ、言い出したのは?」
「瞬以外の誰がこんなこと思いつくんだよ」

 やっぱりそうかい。
 再び墓石の前にしゃがんだ瞬は、俺が活けた百合を
2本花瓶から引き抜くと、9人分の花(一部?なのも含む)
を挿したカップ酒の空きビンに入れ直した。

「・・・・・・・」
「これでよし、と」

「・・・・・・・」
「おい瞬、一輝の分は良いのか?」

 邪武が言った。瞬は首を傾げる。

「兄さん? 嫌がるんじゃないのかな」
「いいだろ。来なかった奴が悪いんだよ」
「それもそうか。盟のお墓参りに付き合うって言った
瞬間に逃げたもんね」
「その辺のぺんぺん草でも参加させてやれば?」
「そうだね」

 瞬が呟くと、星矢が笑いながら花を差し出した。

「これでいいんじゃないか? その辺に生えてたやつだけど」

 濃い赤色の小さな粒が、たくさん寄り集まって丸い塊に
なっている。どこかで見たことのある花だった。
 瞬は笑ってその花を受け取った。

「ありがとう」
「何て花だろ。知ってるか?」
「さあ・・・・知らないや。後で調べてみようか」

 そう言いながら空きビンに花を挿す。

「はい、完成」
「・・・あなたたち・・・・」

 絶句していた沙織が、初めて口を開いた。けれど、
その先の言葉は続かない。
 俺は・・・・ただ思いついた言葉を声に乗せること
しかできなかった。

「・・・・結構、綺麗じゃないか?」

 ゴミ箱からリサイクルされたカップ酒の空きビンに
活けられて、てんでばらばらな11種類の花はとても
美しかった。

「花は綺麗だよ。どんな花でもね」

 夜が明けたら朝が来る、というのと同じくらい当然の
真理のように、瞬は言った。

「実るために咲いた花なんだから」



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