「瞬・・・・この花、お前が言い出したというのは本当か」

 やけにかしこまった口調で、辰巳が言った。
瞬は今まで無視していた(としか思えない)相手に
向き直る。

「そうですけど?」
「何故・・・・」
「何故って、人のお墓参りに手ぶらは失礼かなって言った
だけですよ」
「・・・・・・・」

「瞬ちゃん、優しいもんねー」

 半ば呆れたような口調で邪武が言う。

「なんだよ」
「だってお前、前に一輝が暴れた時、とりあえず一番
恨まれてそうな辰巳を人身御供にしようって意見、
止めたんだって?」

 ・・・・・っておい。
 その意見を出したのは誰だと心から訊きたかったが、
何となく怖くて聞けなかった。

「それとこれとどういう関係があるんだよ。別に可哀想
だからとかで止めたんじゃないよ。あの時点で僕が辰巳
さんに同情する理由なんかなかったでしょう。何ひとつ」

 辰巳はさっきから再び凍り付いているんだが・・・・
無視か、やっぱり。

「へー・・・じゃあ、なんで?」
「なんでも何も。僕が兄さんの立場なら、あの状況で
こんな人連れてこられても、余計な殺意が湧くだけで気が
収まりはしないこと確実だと思ったから止めただけだよ」

 ・・・・・・・・

「すみません。ものすごく怖いですものすごく」
「そう? わざわざ死人増やすこともないと思っただけ
なんだけど」

 だから、そのあっさりした物言いが怖いって。

 瞬は軽く肩をすくめて続ける。

「まあ、僕だったら殺しはしなかったけどね」
「え?」
「僕は兄さんほど真っ直ぐじゃないからね。復讐しようと
思ったら暴力に訴えはしないよ。そんなことしたら
こっちが悪者にされるじゃない?」

 ・・・・それはまあ、そうであろう。

「・・・・正直言って訊きたくないが訊いておく。では、
お前があのときの一輝ならどうしてた? 瞬」

 恐る恐るとは言え質問した紫龍の勇気を、俺は一生忘れないと
思う。ついでに、それに対する瞬の答えも。

「決まってるでしょう。マスコミに流すんだよ」

 シーン・・・・・・・

「城戸光政が過去にやったこと、知ってる限り全部
ゃべってあげる。大々的に記者会見開いてね。
 僕たちの中であの時点でグラードに付く理由があった
のってせいぜい邪武くらいでしょう? 全員が証言したら
それなりの説得力になるよね」

 全員が凍り付く中、瞬は笑顔のまま続けた。

「涙の兄弟再会シーン演じるなり、星矢のお姉さんや
氷河のお母さんの話出してさらなる同情を引くなり、
やりようはいくらでもあるよね。
 おまけに僕たち全員がその光政の息子となったら、
これはちょっとスキャンダルじゃすまないと思うな。
児童虐待は重罪だし、ねえ辰巳さん?」

「あ・・・・ああ・・・その・・・・・」

「で、世論がこっちに付いたところで城戸光政とグラ
ード財団を正式に告発します。児童虐待でね。子ども
閉じ込めたお屋敷に高圧電流流した有刺鉄線張り巡ら
せてたのなんか、持って行きようによっては逮捕監禁罪
になるかもね。しかも全部組織ぐるみかつ恒常的でしょう?
 あと、最低でも兄さんにやったのは殺人未遂だよね。
 ・・・・って言うか、普通だったら死んでるよね。
・・・・ふふふ辰巳さんなんか何年喰らうでしょうね」

 ・・・・天使のような優しげな笑顔が、この上ない静かな
怒りの表情に見える・・・と言うか、たぶんそのとおり
なのだろう。

「ついでに言うと、銀河戦争ってのがそもそも問題で
しょう?
 僕たち全員未成年者。半分以上が14歳以下。
 労働基準法とか児童福祉法とかに触れまくる気がする
んだけど。
 あれって要するに、古代ローマのコロッセオで剣闘士を
ライオンと戦わせたりしてた殺人ショーと同じですよね? 
それに子どもを強制的にとなったら、日本国憲法にも
触れません? 相当まずいと思うんだけどその辺どうなん
ですか辰巳さん?」

「いや・・・・その・・・・・」

「主犯は残念ながら死んでるけど、共犯者は生きてます
からね。詳しくは知らないけどまだ時効には間があるん
じゃないですか?
 ああそれから、沙織さんも事情全部承知だったわけ
でしょう。13歳だから法的責任は問えないけど、世の
中には道義的責任ってものがありますよね?」

 ・・・・・・・・・・・

「まあそうなったら、後は沙織さんのマスコミ操作の腕に
懸かってきますね。頑張って下さいね」

 ・・・・・・俺は静かに口を開いた。

「・・・・辰巳・・・・デスクィーン島に行ったのが
一輝の方で、よかったな・・・・・」

 辰巳はいつの間にか墓の前にしゃがみ込み、滝の涙を
流しつつひたすら手を合わせていた。

 ・・・・ごめん父さん。俺、フォローできないわ・・・・
 


 一方で、何とか衝撃から立ち直ったらしい奴らは
少し離れた(ただし沙織達に聞こえる距離)ところで
顔つき合わせていた。

「・・・・なあ。沙織さんと瞬と、どっちがマスコミ受け
すると思う?」
「少なくとも、一般受けするのは圧倒的に瞬の方ざん
しょーねえ・・・・」
「可愛いもんな。普通に」
「ああ。沙織さんも美人は美人だが、世間一般老若男女や
個人の好みに関わらず広く受け入れられるのはああいう
清純派だ」

 あいつが男であることをナチュラルに忘れている
発言な気がするが、まあ良いか・・・

「ああ・・・・俺は師匠の言っていたことを思い出した・・・」
「お前の?」

 紫龍、嫌そうな顔をしないように。

「ああ。ああいう、見た目優しそうでおとなしそうで
穏やかで人当たりが良くて滅多に怒らない人間に限って、
本気で怒らせるとめちゃくちゃ怖いから気を付けろと」
「・・・・何だか妙に具体的だな。実在のモデルでも
いるのか?」
「さあ?」
「んなことどうでもいいだろ。今更何言ってんだ。
俺は昔から、あいつだけは敵に回すまいと思ってた
んだからな」
「邪武・・・・お前昔結構瞬のこといじめたりして
なかったか?」
「泣いてる分には良いんだよ、怒ってるのが一輝なら
せいぜいしこたま殴られるだけで済むから。
 でもな、瞬を敵に回すってことは、全世界を敵に回す
のと同義語なんだぞ。銀河戦争のとき、俺がどんな思いを
したと思う?!」
「・・・・ああ。あれはむごかったよな・・・・」

 那智が何やら遠い目になった。横で氷河が無言のまま頷く。

「・・・・・何があったんだ・・・?」
「いや、何と言うか・・・」

 二人が顔を見合わせる。

「聞こえてくる声援が全部女の声。対象は瞬一色だった。
それはもうはっきりと」
「それまでの試合と観客席の空気があからさまに違った
よな・・・異様だったぞ。あれは絶対、ファンクラブの
ひとつやふたつ出来てたと思うな」
「それは・・・・・」
「・・・・むごいな」

 対戦相手の心情はいかばかりか。

「どうせあいつは顔が良いよ畜生・・・・下手に殴ったり
したらファンにリンチされそうな雰囲気だったんだぞ。
瞬本人より観客の方が怖かった」
「その心配はなかっただろう。素で負けてなかったか?」
「・・・黙れ氷河」



 紫龍が笑顔で辰巳をいじめている(んだろう、たぶん)
瞬の肩をぽんと叩いた。

「・・・・瞬、そのくらいにしておいてやれ。あの男にも
事情があるだろう。13年前の時点で、アテナのことを
公表するわけにも行かなかったのだ。
 そもそも、そんなことを公表した場合の周囲の・・・
一般人の反応を想像してみろ。寒いぞ?」

「確かに・・・」

 瞬はふっと息を吐いた。

「どこから電波来てるんだって感じだよね」
「いや、だからせめてとうとうボケたのかくらいにして
おいてやれ。な?」

 ・・・・お前のそれはフォローのつもりなのか?

「ボケはボケでも色ボケってやつじゃないの?」

 ・・・・・・・・・・・

 ごめんなさいお父さん。俺本格的にフォローできません。

 つーか瞬、お前もその清楚な顔でそれもんの発言は
止めてくれ。心臓に悪い。

「色々と言いたいことがあるのは分かる。俺もあるしな。
だが、少なくとも俺は、今の状況を恨むつもりはない。
それはお前も同じではないのか?」
「・・・・そうかもね。でも、それとこれとは問題が別。
あの人を許したら、死んだ兄弟達に申し訳が立たない
って、前にも言ったよね」
「それは聞いた。俺もそう思う。だがな・・・・訊くが、
お前、今言ったことを本当に実行する気があるのか?」
「まさか」

 瞬はあっさりそう答えると、天使のように微笑んだ。

「やるわけないでしょう。銀河戦争のときに知ってたら
本当にやっただろうけどね」

 ああ、そうなんだろうな・・・・・

「ああ、俺もその時点で知ってたら、全面的に協力して
いたがな」

 っておい。

「あ、それは俺もそうだなー。涙ながらに姉さんの思い出
語ってさ」
「いくらでも協力するざんすよ」
「いや、ここは一般受けする見目の良い奴を選んで看板に
立てるべきだろう」
「氷河。どういう意味だ」

 ・・・・いやだからおい。

「でも、今更あなた方だけ破滅させたって面白くも何とも
ないですからね。そういうわけですから、ポセイドン
見習って全財産投げ打って世界平和に貢献する方向で、
よろしくお願いしますね」

 にっこり。

「・・・・・・・ええ・・・・分かっています」

 沙織は目を伏せてきっぱりと言った。



「んじゃ、帰るか!」

 星矢が明るい声を上げた。

「そうだな、あちらはもっとゆっくりしていきたい
だろうし。言いたいことも言ったし」
「なあ、途中にあったラーメン屋で昼飯食っていこうぜ」
「おお、そうするか」

 勝手に話がまとまったようで、弟たちはさっさと帰り
始めた。

「じゃあね、盟。また後で」

 すれ違いざまに瞬が笑いかけてくる。俺はとっさに言った。

「いや、俺もお前達と一緒に帰る」
「え?」

 瞬が首を傾げる。紫龍が言う。

「ゆっくりしていったらどうだ? せっかくの墓参りだろう」
「・・・・いや。もういいんだ」
「ふぅん? じゃあ、一緒に行こう」

 瞬がそう言って歩き出した。


「なあ、あの花のことだけど」

 俺は口を開いた。

「あれがどうかしたの?」
「いや、・・・・なんでわざわざ、と思って」
「なんでって・・・さっきも言ったでしょう。人の
お墓参りに手ぶらは失礼かなって、言っただけだよ。
誰も反対しなかったし」
「正確には、瞬がそう言ったら紫龍がそれもそうだなって
言って、んで俺がじゃあ何か持っていこうかって言って、
普通は花だろうって檄が言って、買うような金ないぞって
那智が言って、かっぱらってくるかって蛮が言って、
それはよせって邪武が言って、摘めばいいって氷河が言って、
さっき通り過ぎた原っぱに色々咲いてたって市が言ったんだよな」

「・・・・・・・」

 途中何やら犯罪的な発言を聞いたような気もするが、
やはりこれも無視する方向で行くべきなのだろう。

「あの・・・・!!」

 その時、後ろから追いかけてくる声があった。

 沙織。

 振り向いたのは俺だけだった。沙織は、今にも泣き出し
そうな、それでいてとても嬉しそうな顔で、振り向こうと
しない兄弟達に語りかけた。

「あなたたち・・・・ありがとう。本当に・・・・」

 誰も振り向こうとはしない。けれど、どの顔も
晴れやかに笑っているのが分かる。

 俺は黙って彼女に笑って見せた。それで、十分だと思った。




「・・・・思い出した」
「え?」
「あの花の名前。・・・・ワレモコウだ」
「何だそれ、変な名前」

 星矢が子どもそのままな率直過ぎる感想を述べる。

「ワレモコウ・・・・吾も亦紅なり、って書くんだ」

 俺は地面を引っかいて漢字を書いてやった。

 吾亦紅。

「師匠に教えてもらったんだ。日本の言葉は面白いな、
って・・・・何でか知らないけど東洋文化に造詣の深い
人でさ、漢字とか書けたんだよな」

 ・・・・今にして思えば、しみじみと変な人だった・・・・・


 ───面白いな。これが花の名前か。自分も紅いんだ、ってさ・・・・
 ・・・吾もまた、紅なり・・・・


「・・・・かっこいい名前だね」

 瞬が呟くように言う。

「ああ、俺も教えてもらったとき同じこと言った。
そんな名前の花があるなんて知らなかったんだけどさ、
なんかいいなあって思って」
「うん。いい供花になったんじゃない?」
「ああ。・・・・ありがとうな、星矢」
「えー? 俺、知らないぞ。適当にその辺にあったの
摘んだだけだし」

 そんなことを言いながら星矢は嬉しそうだ。

「いいんだよ。俺が礼言いたいんだから」

 俺はそう言って空を見上げた。

 日本の夏の空。青く晴れ渡った空に入道雲。
日本を離れたときに見た空。

 もう二度と見られないと思っていた。

「きれいだな・・・・」
「そうだね」

 瞬がふと横に並んできた。

「ねえ、盟のお父さんってどんな人だった?」
「え?」
「僕、お父さんってどんなのか知らないから・・・・
ね、優しかった? 厳しかった?」
「うーん・・・あんまり優しかったとは思わないなあ。
忙しいからってあんまり話なんかもしなかったし。
 ───うん、厳しかった。悪さなんかしたらすごく怒られたよ」
「・・・好きだった?」
「───ああ」

 穏やかな声に、俺ははっきりとそう答えた。

「そっか・・・・」

 瞬はそれだけ呟いて微笑んだ。


「おーい、早く来ないと置いていくぞー」

 いつの間にかずいぶん前の方に進んでいた弟たちの
中から、星矢が振り向いて叫ぶ。

「ラーメン屋まで競走することに決まったからな!
 ビリになった奴が全員分おごりだぞ!」
「ちょっと待てそんなこといつ決まった?!」
「今!!」
「待たんかーい!!」

 俺が叫んで駆け出すと、瞬が笑いながら追いかけてきた。


 蝉の鳴き声が響く。
 俺はもう一度、青い空を見上げた。


 お父さん。とりあえず、俺は元気です。
 後悔もしていません。後悔せずにすむ生き方を許して
くれたことを、感謝しています。


 だから・・・・・


 そこから、見ていてください。


 永遠に。



                               <了>