第6章
「Josephine Collection」


翌朝。
ルードヴイッヒはウルフを呼び、昨夜の出来事を詳しく話した。
「これも、私の弱さから来た事だ。すまない」
深く頭を詫びるルードヴイッヒをミレーヌがフォローする。

「彼も、あの坊やの能力に惑わされていたのよ、許して頂戴」

ウルフは一礼すると。

「ここまで気をお遣い頂いて、むしろ恐縮です。私も冷静さを欠いておりました」

そう深く詫び、顔を上げる。

「今後いかがいたしましょう、マグナポリスの連中に総攻撃を…」
「それは、むしろ危うい」

ルードヴイッヒは、視線を落として続けた。

「確かに、奴らは私達の最大の宿敵だ。だからこそ、クリスタルナイツを再建させなければらない今、彼らに正面から挑むのは組織の弱体にも繋がる」
「では」
「まず、奴らの監視を強化してくれ。目立たないようにな」
「はっ」
「それと、クリスタルナイツの拠点を移動する」

ミレーヌがはっと顔を上げる。

「ネオトキオを離れるの?」
「それもありうる。全ては、これの結果だ」

ルードヴイッヒは、胸元から一個の時計を出した。
ジョセフィーヌの形見の、金の懐中時計。

「もう少し後に使おうと思っていたが、これが私の弱さを引き出していたのかもしれない」

ウルフとミレーヌは、疑問の表情を向けた。
ルードヴイッヒは物思うようにじっと目を閉じ、意を決したように顔を上げた。

「この封印を解き、例の計画を進める」



マグナポリス、38分署。
リュウたちは、クラブサンドにアイスコーヒーの朝食を採っていた。
権藤が腰を上げて、モニターを操作し始める。

「みんな、食べながらでいいから聞いてくれ」

全員頷く。

「…昨日の基地発見は良かったが、これでまたクリスタルナイツは秘密裏に活動を行うだろう。そうすると捜査活動は困難になる。だが、再び活動が活発化して表に出て来てから相手にしては、こちらの負担も大きいし被害の拡大も懸念される。よってわしは、暫く前からある調査をしていた」

権藤は、テーブル中央にあるモニターに画像を移した。
3人の正面に表示されたのは、ルードヴイッヒである。

「…我々の宿敵である、彼の過去と身辺を調査し、そこから今後の活動を予測しようと…」

ボコボコボコ…

リュウがしかめっ面で、アイスコーヒーにストローで空気を送り始めた。

「ちょっ!ダンナあんたは子供か?」
「やめてリュウ、はねるはねる!」

「あーもう真面目に聞かんかい!!」

不機嫌面のリュウをクロードとソフィアが宥めて、話の続きを聞く。

「本名、アドルフ・フォン・ルードヴイッヒ。ドイツのデュッセルドルフにある軍人貴族の家に生まれた」

クロードが感心する。

「へー、お貴族さんなんだ〜」
ボコ…
「リュウ、ボコボコしない!」

「16歳の時、父親が死去。8代目当主となった」

モニターには、16歳のルードヴイッヒが映し出される。
シックなスーツ姿の、まだあどけなさの残る顔立ち。
ブロンドの髪の毛は肩の辺りまで伸びていて、サイドに流す形のヘアスタイルであった。

「キャイン☆」

浮かれるソフィアに、クロードとリュウが冷たい流し目を送る。

「なんなのキャインて?」
「えっ?だって結構美少年じゃない☆まるでラファエロの絵画から抜け出したみたい…ソフィアこのタイプに弱いの…」

ボコボコボコボコボコ…

リュウとクロードが、冷めた目のまま同時にアイスコーヒーをボコボコする。

「…続けるぞ。ま、貴族といってもそれほど裕福ではなかったらしい。ルードヴイッヒは父の死後、不動産や資産運用の経営もとり行いながら、大学の経済学部に通う…」

リュウが口を開いた。

「大学、16歳で?」
「飛び級だ。かなりな知能で、20歳で博士号まで取っている」
「おーおー、誰かさんとはえらい違いで」

クロードが、リュウの額をコンコン叩く。

「うっせーな!!」

無視してソフィアが呟く。

「若いのに、苦労してるのね」

ソフィアは、若き日のルードヴイッヒの写真を何枚も切り替えてみた。

「あれ?」

ポロのスタイルで馬から下りてきたルードヴイッヒに、タオルを差し出す燕尾服のボーイは

「これ、ジタンダじゃない?」

リュウとクロードも目を丸くして写真を見た。

「あー、ホントだ〜」
「あいつ、この頃からお付き添いしてたのね」
「ああ、ジタンダはルードヴイッヒが18歳の頃、この家のボーイとして雇われた」

クロードが顔を上げる。

「では、この頃からすでにネクライムと…」
「いや、それは違う。ルードヴイッヒがネクライムと関わり始めたのは」

写真を切り替える。
軍の制服らしい姿の集合写真、その奥の方に髪を刈り上げたルードヴイッヒが写っていた。

「20歳の時、ミュンヘンにある連邦軍大学…士官学校だな、ここに入学している」
「髪の毛…ちょっと残念」

ソフィアが残念そうに呟く。

「ネクライムは、各国の士官学校にも隊員を送り込み、有望と思われる若手をヘッドハンティングしていた。ルードヴイッヒは21歳の時に機関紙に連載していた論文が目に止まって、それで声がかかったらしい…しかし」
「?」
「どうやら、その時は返答を保留にしたそうだ」

クロードが相槌を打つ。

「まあ、貴族の当主って肩書きも捨てにくいでしょうね」

うむと権藤は頷いて、写真を切り替える。
そこには、険しい顔の白髪の紳士が写っていた。

「彼の名はキャッツバーグ。貿易商や不動産業で一代地位を築いたフランスの大富豪だ。そして、彼の一人娘がジョセフィーヌと言って…」

次の写真は、巻き毛の金髪の美しい女性。
柔らかなシフォンのワンピースに、豪華な花飾りのついた帽子を被っていた。
突如、リュウがはっとした顔になる。

「あー!!」
「どうした?」
「俺、この人見た、知ってる!!」

何と腰を上げる権藤とクロード、ソフィアの両手がリュウの衿の辺りを掴んだ。

「ちょっとリュウ、どういうこと??こんな美人と何処で会ってたのよスケベッ」
「いや違う…俺が会ったのは…ぐあああ」

そのまま全身をガクガクゆすられて、窒息寸前のリュウ。
権藤が手を振って制した。

「こりゃソフィア、それは無理だ…何せ…」

権藤は、写真のジョセフィーヌをちらと見た。

「彼女は、6年前に事故死している」

えっ?と顔を向ける3人、ソフィアの手がやっとリュウから離れる。

「それは無理よねぇ…あの世にでも出向かなきゃ」
「ゲホっ、本当に行きそうになったぜ」

権藤がリュウに訪ねる。

「リュウ、いつ見たというんだ?」
「…昨日だよ。俺の、夢っていうか…意識を無くす直前に出て来た。うん、今思い出した」
「不思議な事も、あるものねぇ…」

感心するソフィアとは裏腹に、クロードは思案をめぐらせていた。
ソフィアが質問を続ける。

「警部、この女性が何か?」
「ああ、ジョセフィーヌ嬢は今から6年前、ルードヴイッヒと交際があった」

ええと声を上げる3人。続けてリュウとクロードが

「いいなー」とはもる。
「おぬしらっ!!」

ソフィアの額に、怒りマークが浮かんだ。

「交際は、順調ではなかったようだ。何せ、キャッツバーグ家はフランスきっての大企業。そこの大切な一人娘だ。反面、ルードヴイッヒ家は貴族とは言っても軍人の出身で、先にも言ったとおり財政は決して豊かではない。キャッツバーグ卿は、家柄の差で二人の交際を猛反対していた」

ソフィアが溜息をつく。

「家の都合で引き裂かれる二人…なんだか切ない…」

クロードが意見した。。

「でも、キャッツバーグ卿の考えも分かるのよね。だって、財産狙いで近づくって可能性もあるよな」

それに対し、権藤は曖昧に頷く。

「…うむ。ところが事態は一転して、キャッツバーグ卿はルードヴイッヒとジョセフィーヌの結婚を許し、全財産を譲るという契約を交わした」

3人とも流石にええーっ!!と声を上げる。

「事態を変えたのは、皆も覚えていると思うが…」

画像を切り替える。
そこには、悪魔の壷が映し出された。

「あー、これ、ルードヴイッヒと俺が競り合った…!!」
「お前は茶化しただけでしょ」
「左様、調べたところ、これは元々ルードヴイッヒがキャッツバーグ卿への贈答品として古物商から取り寄せた品だ」
「へー、それなのに700億も値段つけて買い戻そうとしたんだ」
「あれはダンナが勝手に吊り上げただけでしょが!!」

へへと、リュウが頭をかいた。

「キャッツバーグ卿は美術品の収集にかけても名高い人物でな、それでこの壷も挨拶代わりの品だったと思うが…ルードヴイッヒがこの品を持って訪問した翌月、キャッツバーグ卿は自分の財産譲渡を約束した」

リュウが呟く。

「うわ、話見えねー」

ソフィアが思案をめぐらせる。

「その壷、とんでもない掘り出し物だったって事よね。でも全財産を渡すくらいなら、黙って受取って結婚を許すだけにしても良かったんじゃない」
「おまえ、結構計算高いのね」

クロードが冷めた目で見た。

「ところが…」

権藤はまた画像を切り替えた。
そこには、一通の契約書が写っていた。

「これが、キャッツバーグ卿がルードヴイッヒに財産を譲渡するために書いた誓約書だが」

そこには
『我がキャッツバーグ家は、誇り高きルードヴイッヒ家の名誉の回復と、その栄光を称え、ここに全ての財産を譲渡する』
と言った文面と、キャッツバーグ卿のサインがあった。
クロードが気がついて指摘する。

「あれ、最後のサイン欄…」

おそらくルードヴイッヒがサインをするだろう箇所が、空白のままになっていた。

「そうだ、ルードヴイッヒはキャッツバーグ家の財産を、受け取ってはおらんのじゃ」
「……」

さすがに3人は声を無くした。
気づいたように、ソフィアがつぶやく

「ジョセフィーヌ嬢の…事故死」
「おそらくな。この契約書の日付が、ジョセフィーヌ嬢が亡くなった日だ」

言葉を無くす3人に、権藤は続けた。

「事故死と言われているが……自殺という証言もある。彼女はその日、屋敷の屋上から転落した。原因は、誰にも分かっておらん。その直後から、ルードヴイッヒは行方不明となる」

「行方不明…」

リュウが呟いた。

「デュッセルドルフの家にも戻ってはおらんし、大学にもその下宿先にも姿を見せる事は無かった」

クロードが聞く。

「ネクライムへ…ですかね?」

権藤が頷く。

「そうだな、翌月にはネクライムの極東支部…当時はネオトキオ支部に赴任したという記録がある」

ソフィアが訪ねた。

「それじゃ、ルードヴイッヒの家も、続いた貴族の家系も絶えたという事ですか?」
「うむ。ルードヴイッヒが行方不明のあとルードヴイッヒ家を…ややこしいな。今から奴の事は本名のアドルフと言う。8代当主のアドルフがいなくなり、実権はアドルフの伯父のベルハルトに移った」

画像に写る男は、ルードヴイッヒとは余りにていない小太りの男だった。

「このベルハルトというのが困り物で、アドルフの父親…7代当主のフランツは、規律正しい誠意のある当主として慕われていたが、弟の方は借金癖のある放蕩ものでな。こいつが、キャッツバーグの財産譲渡を訴えて裁判を起こした」

画像は、当時の裁判記録関係の書類になる。

「契約書に書かれている『誇り高きルードヴイッヒ家の名誉の回復と、その栄光を称え、ここに全ての財産を譲渡する』という文言を逆手に、財産の譲渡を訴えたが」

クロードが溜息と共に呟いた。

「当然、キャッツバーグさんだって反撃するでしょ」
「うむ。裁判は3年に渡り争われたが、結局ベルハルトの訴えは退けられた」
「3年も?元々の所有者のキャッツバーグ卿がいるのに?」
「いや、キャッツバーグ卿は、ジョセフィーヌの死後10日で亡くなっている」
「……」
「愛娘を亡くしたショックからだろうな、直後からキャッツバーグ卿は半狂乱になり、邸内であるものを探し続け…肺炎で倒れて間もなく息を引き取った」
「あるもの?」
「うむ。それが裁判を3年長引かせた理由の一つだが…」

次に写った画像は、美術品のリストであった。

「キャッツバーグ卿の遺産整理の過程で判明した事だが、実際に存在した美術品は絵画、彫刻などの比較的大きな品が殆どで…」

切り替えた画像には、宝飾品の類が映し出される。

「宝石や、装飾品の類は何処を探しても存在しなかったのじゃ…それともう一つ」

画像に映し出される、金色の懐中時計。

「キャッツバーグ卿は死の直前まで、この時計を探し続けていた。『時計は何処だ、あの時計には娘に与えた大切な物が入っている』と。おそらくは…その時計に、存在しない財産の秘密が隠されていたと思える」

ソフィアが聞く

「その時計は、未だに見つかってはいないのですか?」
「うむ。それを含め、見つからない宝飾品の数々は16世紀〜17世紀にかけてブルボン・ルイ王朝に伝わった貴重な宝石の類だ。時価に換算して約300億と言われているが、オークションに出せばその10〜20倍の値がつくと思われる」

リュウはもくもくとサンドイッチを口に運びながらぼやいた。

「あるところにはあるねぇ、俺ら薄給には縁遠い世界だわ」
「…ちょっと、あんた食べすぎ」
「消えた財宝か…それがどうして裁判が長引いた理由に?」

権藤は軽く溜息をつく。

「キャッツバーグ卿は死の直前にこうも言っていた『あの男が、私の娘と財産を奪って行った。私はあの男をうらみ続ける』とな」
「……」
「裁判の最中に、キャッツバーグ家はルードヴイッヒ…アドルフ・フォン・ルードヴイッヒを訴えた。窃盗と殺人でな。だがしかし、それは不起訴になった」

クロードが厳しい目で返す。

「証拠不十分…ってやつですか」
「うむ。財産の窃盗についても何の証拠も見つからない。殺人については、雪についた足跡が証拠になって、ジョセフィーヌ嬢は一人で転落したと決定付けられた」

ソフィアが聞く。

「雪に付いた足跡?」
「ジョセフィーヌ嬢が亡くなったその日は雪が降っていた。屋上には二つの足跡が残され、一つは屋上の端まで残され、一つは途中で引き返していた…それが決め手になった」

ソフィアが悲しそうな声で呟く

「それって…途中までは追って…」

権藤は構わず続けた。

「多分な。腹の虫が収まらないのはルードヴイッヒ家の方だ。ベルハルトは逆に名誉毀損で訴え返した。無論、財産欲しさの行動だろうがな。お陰で裁判は泥沼の様相を続けた」

クロードが椅子に背を預けて、呆れたように返す。

「金の亡者の争いね…やだやだ」
「ホント、飯まずくなるぜ」

そう言いながらリュウは次々にサンドイッチを頬張った。

「3年間の争いのあと、財産はキャッツバーグ側に渡り、悪魔の壷だけがベルハルトに渡された。ベルハルトはその半年後、原因不明の出火で焼死している」
「……」
「その後、悪魔の壷はキャッツバーグ卿の甥にあたる者の手に渡ったが、彼もまたクルーザーの事故で水死。甥の妻は、その壷を海中深く沈めたと言われている。だからあの壷は、キャッツバーグ家の壷と言われた訳だ」

ソフィアが訊ねる。

「ジョセフィーヌの為に残されたと言われている宝飾品は、その後どうなったのですか?」

「見つかってはおらん。各国のコレクターが夢中になって探し回っているようだが、今のところ一品たりとも市場には出てない。誰が言い始めたかそれらは、キャッツバーグの隠し財産、通称『ジョセフィーヌ・コレクション』と呼ばれるようになった」

クロードが聞いた。

「おやっさんは…」
「ん?」
「おやっさんはどう考えてます?ルードヴイッヒがコレクションを持っているかどうかは」

権藤は悩むように頭をかいた。

「わしも半々と言ったところかな。奴がコレクションを所有していたとしたら、何故今まで手放さなかったか…」
「…」
「あれほど資金集めに奔走していたネクライムの時も、全てを無くして中華マフィアの下請けまでしてクリスタルナイツを建て直し始めても…という疑問がある」

リュウが呟く。

「持ってないんじゃないの?」
「そうとも言えん。実際、奴は最もジョセフィーヌに近かった人間だ。手に入れていたとしても不思議ではない。それと…」

ソフィアが口を開く

「手放せない…」

クロードが呟いた。

「あるいは、最後の手段として隠し持っている」

それに権藤は頷いた。

「わしが気になったのは、昨日、リュウとクロードが探し当てた武器工場だ」

権藤は画像を、武器工場の奥部にあった巨大な装置に切り替えた。

「先ほど本署から調査結果が届いたが、上部は超高分子分離機ということが分かった」
「なにそれ?」

リュウが聞く。

「物体を分子レベルまで分離させ、構造を解析する装置だ。だがおそらく、それだけが目的ではない。下部にはまた他の装置が組み込まれるはずだったとの予測だ」

リュウが訊ねる。

「何かは予測がつかないのかい?」
「ああ、クリスタルナイツの連中は、必要なデータは全て破棄して逃げてしまったからな…だが、またこの装置は作られるだろう。その為には…」

クロードがはっとする。

「…莫大な予算が必要ですね。だとするとコレクションを…!」
「ああ、使うかもしれん。もし奴が所有していればな」

ソフィアが聞いた。

「また年月をかけて計画するかもしれないわ。でも…可能性も捨て切れませんね」

権藤は深く頷いた。

「うむ。ジョセフィーヌ・コレクションについて調査する意義はあるとわしは思っている。無論それだけではないが、マグナポリスとして独自に調べ始めたい」

クロードが聞いた

「宛てはあるんですか」
「今、ルードヴイッヒとジョセフィーヌ嬢を知るものに事情を聞けるか折衝中だ。それまでは、街中のパトロールを怠らないでくれ」

はいと、3人は頷いた。

「…しかしまあ…」

クロードは目の前の画像を切り替え、花帽子を被って微笑んでいるジョセフィーヌの写真を写して、ちらとリュウを見た。

「お前さん、この人を見たって言ったよな」
「うん」
「…なるほどねぇ…」

クロードはふっと息をついて呟く。

「これが、ルードヴイッヒのオーロラ姫って訳か」
「え?この人の名前はジョセフィーヌだろ…?」

ソフィアが手を振って否定する。

「ちがうちがう、知らない?『眠れる森の美女』」
「へ?」
「魔女の呪いによって、永い眠りについていたオーロラ姫が、王子様のキスで目覚めるのよ〜」

そこまで聞いて、リュウの顔が真っ青になった。
クロードが、あちゃーとした顔になる。

「…どしたの?」

リュウは口を押さえて、思い切り席を立った。

「俺、歯磨いてくるわ!!」

そう言って部屋を走り去っていくリュウ。

「何があったの?」
「食後の歯磨きでしょ」

あきれたように返すクロード

(ありゃしばらくトラウマだな…しかし…)

クロードは、眼前のジョセフィーヌの写真を見た。

(恋人に死なれて、そのまま犯罪帝国にGoin' Downか…意外と純なのね。
ま、これだけの美人なら…ちょっとは気持分かるわ)



武器工場の襲撃から、数日経った日。

ルードヴイッヒたちは、居間のテーブルに座っていた。
ルードヴイッヒの前には、悪魔の壷が置かれている。

「さて、集まってもらったのは他でもない。今後のクリスタルナイツの活動についてだが…」

ルードヴイッヒは、壷を持ち上げると宙に軽く放り投げた。
床に叩きつけられて、粉々に四散する壷を、誰もが驚きの目で見つめる。
しかしその直後、なお驚く事態が発生した。
壷は、まるでフィルムの逆再生のように破片が集い、見る間に元の姿に戻っていく。

「この通り、この壷は破壊されても再生する未知の素材で作られている。私は、この壷の素材の分析のために、超高分子分離機の開発を進めた」

息を飲む隊員たちに、ルードヴイッヒは続ける。

「分析だけではない。そこから、これと同等の素材を創り上げる技術を確立する」

ルードヴイッヒは壷を見下ろした。

「破壊されても再生する素材。それは、建築・製造・兵器・宇宙開発…ありとあらゆる分野で喉から手が出るほどの価値がある」

ミレーヌは、ほぅと息をついて応えた。

「そんな宝を手に入れたら貴方は…犯罪帝国の長に留まらず、それこそ世界の頂点に立つようなものね」

ルードヴイッヒは真っ直ぐに隊員たちを見据える。

「一度はマグナポリスに阻止されたが、私は再びこの計画を遂行する。無論それには、莫大な投資が必要だ…ジダンダ」
「は、はい!」
「ナイフと、小さめの皿を」

ジダンダは、ナイフと小皿をルードヴイッヒに手渡した。
ルードヴイッヒは懐中時計を取り出し蓋を開けると、ジョセフィーヌの写真の端にナイフを入れた。
剥がれた写真の裏に、5ミリ四方程度の黒い物質が張り付いている。
ルードヴイッヒはその黒片を、皿の上に乗せた。
ミレーヌが身を乗り出す。

「ルードヴイッヒ、それは…?」
「物欲にまみれた男が…それでも自分の娘の為に密かに取っておいた、遺産…」

ルードヴイッヒは、わずかに眉をひそめた。

「巷ではジョセフィーヌ・コレクションとも言われている、キャッツバーグの隠し財産だ。現在では、数千億の価値がある。この小型チップには、その情報が記録されているはずだ」

皿をジダンダに手渡す。

「キャッツ、ホーク、このチップの分析を急いでくれ」

二人は礼をしてチップを受取り、居間を出た。

「他の者は、日本から基地や工場の移転を進めてくれ。加えて、エトロフ・サハリンにある工場の規模を増大する。ここの本部の移転についても候補を当たってくれ」

ルードヴイッヒの命で、隊員たちは足早に行動に移った。


その日の夜。

ルードヴイッヒとミレーヌは、寝室でワインを傾けていた。

ルードヴイッヒはベッドに座り、ミレーヌは窓にもたれてワインを口にする。
どちらも、シルクの裾の長いガウンを纏っていた。
ミレーヌは、窓際のチェストに置かれている悪魔の壷を見つめた。

「…触っても、よいかしら」
「ああ」

紅色の爪で彩られた細い指が、壷を軽く撫でる。

「不思議なものね…とても危うい感じ」
「その謎も、いずれは解ける」
「まだ、早くないかしら?」
「ん?」
「もう少し、待つべきでは無いかと思うの」
「…焦っていると、言いたいのか?」

ルードヴイッヒは軽く笑いを浮かべて、ワインを飲み干すとグラスをテーブルに置いた。
テーブルには、あの金時計も置かれている。

「私も始めは、まだ時間を置くべきだと思った。だが…奴らが妙に力を付け始めている」
「あの坊や…」

ルードヴイッヒは、時計を手に取った。

「焦ったわけではない。むしろ、今まで自身を甘やかしていた事に気づいただけだ」
「……」
「古いものを、手放しきれなかった自分の弱さにな」

自虐的に目を細めて笑う。
ミレーヌが、気遣うように訊ねた。

「本当に、良かったの?いま手放してしまって…」

ルードヴイッヒの手が、ミレーヌの腕を取り軽く引き寄せて自らの膝の上に座らせた。

「さっきも言った、過去に縋る気は無い。大切なのは今と、行く末だ」

細い腰を抱いて、顔を上げる。

「目指す先は世界の頂点だ。その時まで、付き合うか…?」

ミレーヌはふっと笑って、ルードヴイッヒの頬に手を添えた。

「前にも言ったわ、私はもう、貴方を裏切らないと」

緩やかな動きで、互いの腕が回りあった。


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