第7章
「Sunset Cafe」


数日後、権藤は3人に命を下した。

「3C社に出向いて欲しい」と

ソフィアの顔が明るくなった。

「3C社って、あの有名ブランドの?」

リュウが突っ込んだ。

「なんなのスリーシーって?」
「クリス・シャネル・コーポレーション、略して3C。女性なら誰でも憧れるブランドメーカーよ」
「ああ。そこの支社長秘書が、ジョセフィーヌ嬢と同期の友人でな。我々の調査依頼を受けてくれた、明日にでも出向いて欲しい」

ソフィアはニコニコしながら権藤に言った。

「警部、一つ提案があります」
「…ん?」



翌日。
ベイエリアに建つ高層ビル、その上方階に3Cネオトキオ支社が入っている。
ビルの前にタクシーが止まり、そこから降りてきたのはスーツ姿の3人だった。
リュウは黒のスリムスーツに赤のネクタイ。クロードは同系のスーツに青のネクタイ。
ソフィアは、くすんだサーモンピンクの生地で丸衿のシンプルではあるが品の良いスーツを身に付けていた。
ネクタイの締め具合を気にしながら、リュウがぼやく。

「…しっかし、背広姿でタクシーとはね…」

背を伸ばしてソフィアが返す。

「仕方ないわ、今回は事件に直接関わらない事での聞き取りでしょ。パトカーで乗り付けて警察手帳見せたら、相手に余計な疑いがかかるわ」

3人、ビルの中へと入っていく。

「だから身元は隠していくの。表向き私達は信託会社の営業よ」

受付嬢に、ソフィアはにっこりと微笑んだ。

「こんにちは、私達はネオ・オリエント信託銀行の者ですが…」

3人を乗せたエレベーターが最上階へと向う。
長い廊下を抜けて、応接室へと入った。
一人の女性が待っていて、軽く頭を下げる。
淡いブラウンの髪をまとめ、眼鏡をかけているが清楚な美しさを持つ、紺のスーツ姿の女性。

「マグナポリスの方達ですね、始めまして。支社長秘書のセリーヌ・レヴィと言います」

秘書の女性と、3人は向かい合わせにソファに座った。

「あら?」

セリーヌが何か気づいて、ソフィアに語り掛ける。

「それは、私共の今年の新作スーツですね」
「はい☆3C社のスーツはデザインもですが素材も良いので、私愛用しているんです」
「それは光栄ですわ」

セリーヌが目を細めて笑う。

(キャイン、こうして相手の心を和らげれば、聞き取りもスムーズにいくのです☆)

ニコニコ顔のソフィアの隣で、リュウとクロードが冷めた流し目を向ける。

(おーおー、よく言うよ)
(おやっさんにゴネて予算から買わせたっつーのに…)

ソフィアが彼女に話を切り出した。

「それで、本日お伺いしたい点と言いますのが、同期のジョセフィーヌ・キャッツバーグさんについてなのですが」
「ええ、事のあらましは聞いております」

彼女は、膝に視点を落とした。

「警察の方が伺いに来るという事は、ジョセフィーヌとお付き合いがあった方に関する事でしょう?」

3人は、真剣な目で頷いた。
セリーヌは、膝に組んだ手を軽く握り締めた。

「私達は…止めたんです」
「?」
「彼女、資産数千億と言われている家の令嬢でしょう…それを知って近づいて来る者には警戒して当然。まして、さして地位も高くない貴族の家系では…」
「……」
「でも、それを言ったら彼女、凄く怒ってしまって…だから、私達は見守る事にしました。今になって、後悔してますが」

セリーヌは顔を上げ、懐かしむような目で続けた。

「それに、彼女の気持も分からなくもありません。私、彼女とはハイスクールからの知り合いなんですが…その歳になれば、みんな誰でもボーイフレンドの一人はいます。でも、キャッツバーグ氏はとても厳格な方で…監視も門限も他の友人より厳しい状態でしたから、ジョセフィーヌは寂しい思いをしていました」

ふっと息をつく。

「今思えば…あの時の彼女が、一番幸せそうでした」

少し俯いて、思い出を綴る。

「ルードヴィッヒ、彼と知り合ってから、彼女はいつも彼の事ばかり。紳士物のお店の前を通ると、必ず足を止めて品物を吟味するの。彼に似合うものを買いたいって」

ソフィアの目が、少し滲んだ。

「ネクタイ一つ選ぶのに凄く悩んでいた…『あの人は、いつも黒っぽい色のネクタイをつけているの。でも、もっと明るい色が似合うと思うわ』そう言って、嬉しそうに選んだネクタイを買っていた…その時の彼女は、とても輝いて見えました」

クロードが思い切って訊ねる。

「ルードヴイッヒが、全ての財産を譲渡されることは…ご存知でしたか?」

セリーヌはこくりと頷く。

「一度は破棄された婚約が、成立する幾日か前に、私を始め友人達に彼女からメールが来ました。『もうすぐ、父の財産を受け継ぐの。契約が終わったら二人でオペラを見に行って、次の日、指輪を選びに行くわ』と……今までに無いくらい幸せそうな文面でした」

突然、厳しい表情になって膝を握り締める。

「でも!契約の日に彼女は死んでしまった…!!」

唇をわななかせ、吐き出すように語り続ける。

「何の不自由も無い家に生まれて、一生安泰だったはずの彼女が…何故あんな事に」

眼鏡の奥の瞳から、涙が浮かぶ。
ソフィアもまた、ハンカチを出して少し涙を拭いた。

「あんな辛い亡くなり方をして…私達はあの男を諦めさせていればと…悔やみました…可愛そうなジョセフィーヌ…」

セリーヌは、自分の目元をハンカチで軽く拭った。
ソフィアも涙を抑えて返す。

「すいません…辛い話を、思い出させてしまって」

セリーヌは黙って首を振った。
クロードが、落ち着いた声で聞く。

「それで、申し訳ないのですが…ジョセフィーヌ嬢から、自身の財産などについて何かお聞きしている事は?」

セリーヌは静かに首を振った。

「…先にも申しましたとおり、彼女は自分が資産家であるという事が…足枷になっていて、コンプレックスを抱いていました。それに、個人の経済事情に口を出すというのは…マナーとしてはばかられる行為ですし」

「そうですね、申し訳ありませんでした」

深く頭を下げるクロードに、はっと思い出したように答える。

「でも彼女…何度か、こんな事を言ってました…」

3人が顔を上げる

「あの人の為なら…私が持っているもの全てを捧げたい。あの人の望むものを、全てあげる…」
「……」
「そこまで愛していたのに、ひどい…」

セリーヌは拳を握り締めて震えた。

「刑事さん…彼は、ルードヴイッヒは、まだ生きているのでしょう?」

リュウが深く頷く。

「今、彼の行方を追っています。何としても捕まえるために」
「お願いします…彼女の、ジョセフィーヌの無念を晴らして…」
「ええ、約束します…」

そういって手を差し出すリュウ。セリーヌが握手をしようとしたとき。

「ご安心下さいマドモアゼル。このクロード水沢、貴方の美しい瞳を涙で曇らせるような事はいたしません」

と、得意の横車で間に入り、しっかりと握手を交わした。
リュウは、クロードに押しのけられて半分潰れている。
ソフィアが額に手を当てて、顔を引きつらせた。

(ここでも、相変わらずのパターンか…!)

話が終わり、3人立ち上がってセリーヌの見送りを受ける。

「すいません、大したお話も出来なくて、それに取り乱してしまい…」

ソフィアが静かに首を振った。

「いいえ、とても貴重なお話でした。本当にありがとうございます」

3人は、深々と礼をして3C社を後にした。
帰りのタクシーの中で、先程の話を思い出したソフィアが悲しそうに息をつく。

「…次の日には、婚約が決まっていたのに…何故…」

クロードが返す。

「もう少し、色々調べないとな」

リュウはふっと息をついて、ネクタイを緩める。

「営業マン、一抜けた〜」

そう言って赤いネクタイを外し、手に取ってじっと見つめた。
先程の、彼女の言葉が蘇ってくる。

(あの人は、いつも黒っぽい色のネクタイをつけているの。でも、もっと明るい色が似合うと思うわ)

タイを見つめるリュウの目は、どこか辛く、悲しみを抑えるように瞳が震えた。


タクシーがメカ分署に着き、3人は権藤に調査の報告を行った。
ソフィアが音声を録音したメモリーを渡す。

「という訳で警部、やはりコレクションについては詳しい情報は得られませんでした」
「うむ。後はこのデータを聞いておく。みんなご苦労だったな」

その日の深夜。
リュウとソフィアは深く寝入っていたが、クロードは私室を出て、権藤の所に出向いた。

「すいません警部、こんな夜中に」
「いやいい。さっきのデータも一通り聞いてみた。で、なんだクロード」
「あくまで、俺の意見ですが」

クロードは椅子に座り、真剣な表情で語った。

「やはり、ルードヴィッヒは、コレクションを所有してます」

権藤は深く頷き「根拠を聞こう」と訊ねた。

「私が持っているもの全てを捧げる。あの人の望むものを、全てあげたい…そう、ジョセフィーヌは言っていたと」
「わしも、そこが気になった」

クロードは続ける。

「そして奴は、それを抱え込んだまま。今はね」
「今は…か」
「使うかもしれませんし、そのまま思い出の品として永遠に起こさないかもしれません」
「随分、分かっているような見解だな」

クロードは遠い目をした。

「奴の心に、ジョセフィーヌは眠っている」
「…?」
「何故言い切れるかって?俺、実際に見ましたから」
「…何処でだ?」
「先日の武器工場でルードヴィッヒたちと遭遇したときですよ。あの時、リュウとルードヴィッヒは接触した。そこで…」
「うむ…」
「リュウの、Short Movieが出たと思われる状況が発生しました」
「なんだと??しかしリュウは何も」
「不思議なのが…リュウの旦那、完全に気絶してました。なのにルードヴィッヒには、恋人とのShort Movieが見えてしまった」
「具体的に、どんな状況だ…?」

クロードは呆れ顔で息をついた。

「俺もあんまり思い出したくないんですよね〜、ま早い話、リュウを相手に恋人に接する行動を取ってましたから、ルードヴィッヒ」
「……」
「それで、理解してください」

権藤は額に手を当ててしばし悩んだ。

「あ、ああいや…そうか。うむ」

気を取り直して、クロードに言う。

「お前の見識、間違ってはいないようだな。うむ…カイゼルを通じて、ジョセフィーヌ・コレクションについて、調べ始めてもらおう」
「よろしく頼みます」

部屋を出ようとするクロードに、権藤が声を掛けた。

「ああ、次に事情を聞ける人物だが」
「都合が、つきましたか」
「今交渉中だ、ジョセフィーヌ嬢はともかく、ルードヴィッヒ関係の人間となると、中々応じてはくれん」
「重犯罪者のお知り合いなんて、拒否したいですからね」
「まあ、近々返答が来る。その時にはまた動いてくれ」

了解、とクロードは部屋を出た。



深夜。
眠りに付いたリュウは、夢を見ていた。

夕日に照らされ、オレンジに光る海。
無数のヨットや船が並ぶ港町。
古風な洒落た建物と丁寧に敷き詰められた石畳。

そんな街の、港に面したオープンカフェ。
白いテーブルと椅子が石畳の上に並び
4つある椅子の一つに座り、本を読んでいる女性

上品に巻かれたブロンドの髪。白いワンピース姿のジョセフィーヌ。
少し本を読んでは、腕時計をちらりと見る。
また本を読んで、時計を見て、顔を上げて周囲を見回す。

やがて目の前に現れる、アイボリーのスーツ姿の男性。
背を向けて顔は見えないが、髪形からルードヴィッヒと分かる。
ジョセフィーヌの向かいに座り、彼女から何か話しかけられている。

彼女は、照れるような微笑で、何か細長い包みを出した。
それを受取り、包み紙を外す。
箱から出てきたのは、モスグリーンのネクタイ。

(…付けてみて、似合うと思うの)

そんな声が聞こえるようである。
ルードヴィッヒはネクタイを手に取ったまま、暫しためらっていたようだが
自分のネクタイを外して、傍らの椅子の背にかけた。
黒地に、ダークブラウンの模様が斜に入っているネクタイ。
次に、モスグリーンのネクタイを身に付け始める。

嬉しそうに微笑むジョセフィーヌ。
手を伸ばして、ネクタイを整えて笑みを向ける

(やっぱり似合う。素敵)

二人は席を立って、港の方に歩き出した。
嬉しそうな顔で何かを語りかけるジョセフィーヌの肩に、手を回す。
寄り添い歩きながら、夕刻の街を歩いて遠ざかる二人の背中。
その姿は、徐々にオレンジの夕日へと溶け入って消えた。

夕刻のカフェテリア。
白い椅子と机が、オレンジの陽光に出らされている。
一つの椅子の背もたれにかけられた、黒いネクタイだけが取り残され
それもまた、眩い夕日に飲み込まれていくように、一面の光に消えて入った。

「……」

そこでリュウの目が覚めた。
先程みた夢の記憶を追いかけながら身を起こし、深く溜息をつく。

「歯、磨いてこよ」


第8章へ