第5章
「Brandy Night」


リュウが目を覚ましたのは
駆けつけた警官隊の救護用車両、そのベッドの上だった。

「……あれ、ここどこ…」

ぼんやりとした目で周囲を見回すと、クロードが覗き込んでいた。

「あ、クロード…そう言えばルードヴイッヒたちは?!」

真剣な表情で身を起こすリュウに対し、クロードは冷めた流し目を向けたまま

「逃げられましたよ」
「あちゃー…ごめんよ、ルードヴイッヒと無事に着地してから捕まえようと思ったんだけど」
「ふむ……」
「WindShot使いすぎて、落下の途中から意識なくしてさあ…」

気まずそうに頭をかいて弁明するリュウを尻目に、クロードは権藤に連絡を取った。

「あ、おやっさん?リュウの意識が戻りました…はい…はい、分かりました」

クロードは通信を切って腰を上げた。

「メカ分署に戻りますよ、ダンナ」



ルードヴイッヒ達は、エアカーで本部に向かっていた。
運転席にはウルフ。後部座席にルードヴイッヒとミレーヌ。

言葉は殆ど無く、重い空気が漂っている。

ルードヴイッヒは腫れた頬の右側を押さえながら、眉間に皺を寄せて深い溜息をついた。

「まさか私が…あの小僧に…」

ミレーヌは、シガレットケースから煙草を出して火を付ける。

「あの坊やに、何かの魔法でも掛けられたの?」

ルードヴイッヒは肯定も否定も無く、ただ口をつぐんだ。
暫しの沈黙の後、重々しく口を開く。

「雪が、降っていた」
「?」
「そこに、彼女がいた…」
「彼女…あの時計の人ね?」

ルードヴイッヒが無言で頷く。
ミレーヌは、溜息と共に煙を吹いた。

「どうやら、本当に魔法みたい…とんでもない坊やだわ」
「ミレーヌ」
「何?」
「魔法から解いてくれて、ありがたいとは思う。しかし」
「?」
「始めの一発で目は覚めていた、二発目は必要なかったと思うぞ」

「もう一つは、ウルフの分よ」
「……」

無言でハンドルを握り締めるウルフは、心の中だけで
(申し訳ありません)
と呟いていた。

3人を乗せたエアカーが本部に着く。
中から、ジタンダが小走りに迎えた。

「ルードヴイッヒ様!、ミレーヌ様!ご無事で何よりでした!!基地が襲撃されたと聞いたときはびっくりしましたが、このジタンダ、ルードヴイッヒ様なら必ずお戻りなると信じ…」

ウルフが車を出て、言葉も無く足早に邸宅に向かう。

「ありゃウルフどしたんですか?…あっ!ルードヴイッヒ様そのお顔は?」

ミレーヌが制する。

「なんでもないのよ、中に入りましょう」

居間に入り、ジタンダは相変わらず腫れているルードヴイッヒの頬が心配そうに声をかける。

「その腫れ方、なんでもないという訳では無いでございましょう…それにお召し物もそんなに汚れて…」
「かまわん。基地はどうなった?」
「あー、隊員の大半は逃げおおせましたが、武器弾薬の全ては回収され、分離機も大破したとの事です」
「そうか…」
「しかしなんで場所がばれたんでございましょ?マグナポリスの連中めー」

ミレーヌが、サイドボードに足を進ませた。

「中々手ごわくなっているわね、基地の破壊だけでなく、魔法まで使うんだから」
「へ?魔法ってなんどす?」

ミレーヌは、一本の酒瓶を箱から出した。

「あー、それは秘蔵のレミー・マルタン・ルイ13世ではないですか!!」

瓶についている封をためらいも無く手で契り、軽く栓を捻るとジタンダに瓶を差し出した

「ジタンダ」
「はい」
「これで、ロックを一杯作って」
「はいはい」
「ウルフの部屋に、持って行って」
「はいはい…え、ええ?」

驚いて聞き返すジタンダに、ミレーヌは応える

「ウルフよ、自分の部屋にいると思うわ。ルードヴイッヒ、構わないでしょ?」

ルードヴイッヒは、頬に手を当てたまま無言で頷いた。

「ああジタンダ、ツーフィンガーでね。それと…」
「は、はい」
「こんなもので貴方の気が済むとは思わないわ、明日ちゃんと説明するから今日はそれを飲んで休んで…そう伝えて」
「は、はい…」

釈然としない表情で、ジタンダは部屋から出ていった。

-

ウルフは、私室のベッドでアンダーウェアのまま横になっていた。
腕で顔を覆う姿は、苦悩に満ちている。
そこに、ドアをノックする音が聞こえた。

「…誰だ」
「ジタンダでごじぇます。ミレーヌ様からのお差し入れをお持ちしましただ」
「……入れ」

ジタンダは、銀の盆に乗せたロックグラスを仰々しく差し出した。

「レミーマルタン・ルイ13世のツーフィンガーロックでごぜます!ルードヴイッヒ様秘蔵のお酒どす」

ウルフは無言でグラスを手に取り、口につける。

「ありゃ、あっさりとまあ…あ、それともう一つ」
「何だ?」
「ミレーヌ様からのご伝言です『こんなもので気が済むとは思えませんが、明日ちゃんとご説明しますので、本日はそれを飲んで休んでくだせぇ』以上です」
「…分かった」

憮然としてロックを傾けるウルフを、ジタンダは怪訝そうに覗き込んだ。

「あんのー、一体なにがあったんでございますか?」
「用が終わったらさっさと出て行け!!」

ウルフの怒声で、ジタンダは外に転げるように追い出される。
ウルフは、ロックを一気に流し込むと、深い溜息をついて室内の明かりを消した。



ルードヴイッヒは、私室でガウン姿でベッドに越し掛け、頬を冷やしていた。
ノックの音と共に、ミレーヌの声がする。

「入っても、よろしいかしら」
「ああ」

ミレーヌは、水の入ったグラスと錠剤、保冷材を盆に乗せて入ってきた。

「痛み止めよ、これで眠れると思うわ」
「うん」

ルードヴイッヒの傍らに座り、もう片方の頬に保冷材を当てる。

「強く叩きすぎたわ、ごめんなさい」
「いや、いい。お前の手の方が…」
「だから、こうして一緒に冷やしているの」

目を細めて、優しい笑みを向ける。
ルードヴイッヒは、また深い溜息をついた。

「いかな理由であろうと、これは私のミスだ…」
「……」
「奴に付け込まれる隙が…私の心の弱さが引き起こしたミスで」
「一番、恐れている事が起きる、そうでしょう?」
「ああ。組織というものは、外部からの攻撃より、内部からの崩壊の方がおそろしい」
「特にウルフは、一番の腹心ですもの。彼に納得行くような態度を示さないと」
「分かっている。明日、皆にも説明をする」



リュウとクロードはメカ分署につき、権藤に事件の報告を行った。

「うむ。ルードヴイッヒを捕らえられなかったのは残念だが、組織に与えた打撃は大きい。二人ともよくやった、今日は休んでくれ」
「はっ!」

廊下に出て、リュウはクロードに訪ねた。

「なあ、俺が気絶している間…何があったんだ」
「何がって…何が?」

すっとぼけたように返すクロード。

「ルードヴイッヒは逃げたんだろ?お前その時何してたわけ?」
「気絶したお前さん、救護してたんだよ」
「そっか…って追わなかったのかよ?!」
「まあね」
「それじゃ俺、お前にチクチク言われる筋合いねーじゃん!!」

リュウは先ほどから、自分に向けられるクロードの冷めた流し目と冷淡な口調が気になっていた。
ルードヴイッヒたちを逃がした事を一方的に攻められていると思っていたのである。
それに対して、クロードはクールな対応を崩さない。

「ダンナ、本当に何も覚えてないのね」
「だよ!!…あー、何かお前、俺にやばい事隠してるだろ」
「知らぬが花って事もあるのよ」
「へっ…クロードくん。君、僕に隠し事しようっての」

リュウはチッチッと指を横に振った。

「この超能力者リュウ様の能力を、君も知らない訳ではあるまい。そんじゃ額と額をコッツンと☆」

リュウに額を押し付けられて、クロードは「あーあ」という顔になった。
得意顔で額をつけたリュウの、笑顔が凍った。

「へ…?」

リュウの顔は、徐々に真っ青になっていく…

「え?…ええ…ぎゃあああああ〜!!」

リュウの悲鳴が、マグナポリスの外にまで響き渡る。

「なんじゃどうしたっ!!」

権藤が慌てて廊下に出てくると、洗面所の脇で呆れ顔で壁に寄りかかっているクロードと、無我夢中で歯を磨いているリュウ。

「あー、おやっさん、何でもないの。リュウちゃん寝る前の歯磨きタイム」
「お、おおそうか。あんまり騒ぐなよ」

室内に戻る権藤。クロードは、必死に歯を磨いているリュウに呆れるように語り掛ける。

「リュウちゃん、大切な相棒のアドバイスは、素直に聞いた方がいいのよ」
「うるへー!!何で俺が、アイツにアイツに…!!」
「まーしかし、俺もビビッたけど、向こう様のダメージもでかかったわ。あのウルフが腰抜かすんだもんな」
「…!!うふふもみへひゃのか?」
(訳:ウルフも見てたのか?)
「それとミレーヌも。いやしかし感心したわ、あの状況の中ですぐに冷静な対応がとれたのミレーヌだけだもんな〜。どっちに落ち度があったか、すぐに見抜いた」

リュウは歯磨きの手を止めると、洗面所の端を掴んでワナワナ震えた。

「ん?ダンナ歯磨きおわり?」
「…ウラシマ・リュウ(仮名)…推定17歳…花もはじらうティンーエイジャーの、過去を無くした薄幸の美少年…」

クロードが(ナイナイ)と手をヒラヒラ振る。

「まだ女の子とのチューも経験してないのによぉ……この花の唇が…大切なファーストキスが、なんでアイツに奪われんだよっ!!」
「俺につっかかるなぁ!口拭け口!泡飛ばすな!!」

そこに、ソフィアが戻ってくる。
手には、小型のアタッシュケースを持っていた。

「ただいま」
「お、ソフィア、こんな遅くまで外出だったのか」
「ええ、権藤警部に頼まれて…」
「そぉふぃあちゃーん」

突然、泡だらけの顔のリュウがソフィアに迫ってくる。

「きゃっ!ちょっと何なの?」
「ソフィア〜キスさしてキス〜」
「えっ?ちょっと突然なに?!」
「聖女様の唇でぇ、俺の青春にリセットかけて〜」
「きゃーっ!!このヘンタイっ!!」

ソフィアは、手に持っていたアタッシュケースを思い切り振り下ろした。
ケースに思い切り頭部を叩かれ、リュウは床に沈没する。
その騒ぎにまた、権藤が出て来た。

「やかましわいっ!!ん?ソフィア戻ってきたのか?」
「はい。こちら本署から受取って来ました」

ソフィアは、ケースを権藤に渡した。

「おおご苦労。後はわしの方で目を通しておく」

そう言って室内に戻る権藤。
クロードは、床に顔を打ち付けて伸びているリュウに

「どう、リセットした?」

そう訪ねた。
リュウはフラフラと起き上がると、ひどくげんなりした顔で

「俺…もっかい歯磨いてくる…」

と、生気の無い足で洗面所に向かった。
その様子に、ソフィアが怪訝そうに訪ねる。

「ねぇ、本当にリュウ、何があったの?」
「んー…あいつの立ち位置がさ」
「うん」
「浦島太郎から、白雪姫になっちゃったのよ」
「はあ?」
「…いや、オーロラ姫かな」
「へぇ?」


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