第16章
「天 鏡
 
(天のかがみ)

ネオトキオ郊外にある、イースト地区拘置所。
昼下がり、クロードはそこを訪れた。

クロードの出で立ちは、警察の幹部が着るようなボタンの多い長めの詰襟の上着。
それと揃いの色の、皺のないスラックス。
その手には、小さめの手提げを携えていた。
かしこまった出で立ちで、拘置所内の長い廊下を、警官に案内されて進む。

「こちらです」

通されたのは、こじんまりした白い室内。
中央にテーブル、向かい合わせに椅子が2つ。
部屋の隅にはそれぞれ4つの椅子があり、クロードを案内した警官が背後の2つの椅子に座る。

クロードか椅子に座って間もなく、向かいのドアが開く。

現れたのは、ルードヴィッヒだった。
二人の警官に付き添われ、出で立ちは囚人用のデニムのシャツとズボン。
クロードが先に声を掛ける。

「久し振り」
「ああ」

ルードヴィッヒが椅子に座ると、クロードが携えてきた手提げから数冊の本を出した。

「これ、頼まれてたもん。検閲済みだよ」
「ありがたい。ここの図書館にはロクな本が無くてな」
「俺のチョイスで良かったの?」
「ああ、違うジャンルの本を読むのもいいだろう」

ルードヴィッヒの手は、本の表紙をめくり、目次を目で追っている。
どうも、早く本を読みたがっているように思えた。

「あの…」

クロードが聞く

「ん?」

目次から目を離さず相槌を打つ。

「なんか、聞くことある?」
「例えば?」
「無いの?」
「言いたい事があれば、聞こう」

本に気を取られているルードヴィッヒに、クロードは呆れ顔で語り始めた。

「まー、俺はこの通りちょっと昇格。てか公安とメカ分署兼務。ソフィアも同じで、特殊技能開発の研究機関と、たまにメカ分署って感じになりました」
「…ふむ」
「おやっさんは、変わらずメカ分署。凶悪犯罪に備えて、マグナポリスは活動継続、以上です」
「分かった」

変わらずページを捲っているルードヴィッヒに、ぼそっと聞く。

「リュウは…知りたい?」
「言えば聞こう」

クロードは肩透かしを食らったように溜息をついた。

「あいつは、警察辞めるよ」

そこで初めて、ルードヴィッヒの手が止まった。

「ほう。どうするんだ?」
「旅に出たいってさ」
「…旅?」
「ホントはさ、あいつ前にも言ったんだ。去年のクリスマスイヴ、勲章の授与の前の日にな。までもそん時はマグナポリスの継続を考えて引き止めた。でもってあんたらクリスタルナイツも生きてたから、リュウは警察続けたんだけど…」

深く息をついて、頭をかく

「今回は、説得してもムリだったね、頑として『旅に出る』の一点張りでさ…で、結局折れて、権藤のおやっさんが餞別にバイクもってけってさ」

ルードヴィッヒは手は止めているが、視線は本に置かれたままである。

「そんな訳で、あいつ来週には日本を経つよ」
「何処に、行くんだ」
「アメリカだって、グランドキャニオン見たいってさ」
「…ほう」

ルードヴィッヒの手は、再び本のページを捲り始める。

「なあ」
「なんだ?」
「リュウに、なんか伝言ある?」

再び、ルードヴィッヒの手が止まる。

「なんでもいいよ、俺伝えるから。恨み言でも怒りごとでもいいよ。馬鹿ドングリとかでもいいよ」
「そうだな…」

ルードヴィッヒは、広げていた本のページを閉じ、本を隅に寄せた。
そうして、手をテーブルの前で組み合わせ、真っ直ぐにクロードを見据える。

その態度に少し迫力を感じるクロード。
ルードヴィッヒは、少し息を吸うと、クロードに真剣な目を向け
よく通る声で一言


「愛している」


ガーン!!と、クロードは椅子ごと後方に吹っ飛び、壁にぶつかった。
途端、ルードヴィッヒは高らかに笑う。

「はっはっは、メカ分署の人間だから、この程度の冗談は通じると思ったんだかな」

(ホントに冗談か…?…)

心の中でだけで突っ込み、椅子を整える。

「じゃ、俺行くから」
「ああ、また次の本を頼んでいいか」
「…薄給なんで、冊数は期待しないで下さい…」

ドアを開けて、廊下に出るクロード。
来るときとは違って、ポケットに手を突っ込み、背を丸めて歩いている。

(あんな伝言、俺の口から言えるわけねーだろ。なんでアイツに告らなきゃないわけ…)

長い廊下を歩き、徐々に小さくなっていく後ろ姿。

(あーあ…なんだろね…)

立ち止まって、深く溜息を付く。

(この、敗北感はさ)





ネオトキオから北西にある、女性受刑者の拘置所。
ソフィアは、そこを訪れていた。

クロードと同じような、幹部が身に付ける詰襟の上着。
同色のタイトスカート。
髪は少し切り揃えて、パールピンクのルージュを付けていた。
出迎えた刑務官に敬礼をする。

「特殊技能開発研究室、兼マグナポリス所属のソフィア・ニーナ・ローズです」
「お待ちしてました。こちらへ…」

ソフィアは、面会室の一室に通された。

程なくして、現れたのはミレーヌである。
彼女もやはり、デニム地の衣服を身に付けていた。

「ソフィア、久し振りね」
「ええ、お元気そうで…」

二人座って向かい合い、ソフィアが語りかける。

「あの、ミレーヌさん…」
「ん?」
「当然、お化粧してらっしゃいませんよね」
「ええ…ここでは無理でしょう」
「でも、やっぱり綺麗です。素肌美人なんですね」
「ありがとう。貴女も、すっかり大人びて…似合うわよ、その髪型」
「嬉しい!やっと褒められた☆」
「え?」
「マグナポリスのメンバーは、全然気付いてくれないんですよ。まったく男って…!」

少しむくれているソフィアに、ミレーヌはくすくす笑った。

「そう言えば、皆さん元気なの?」
「はい。私は特殊技能開発室の兼務で、クロードは公安2課の課長補佐と兼務」
「あら、忙しくなりそうね」
「権藤警部はマグナポリス所属のまま…リュウは…」
「?」
「警察を辞めて、旅にでます…」
「えっ?!」

流石にミレーヌは目を丸くして驚いた。

「旅…って?」
「リュウ、前にも一度希望したんです。でもその時は、クリスタルナイツが生存していたって事で刑事を続けました。でも…」

ソフィアは上を見て、少し溜息を付く。

「今回は、止められませんでした…」

ミレーヌは、穏やかに聞く。

「いつごろ、旅立つの?」
「…来週です。アメリカに、行きたいんですって」
「アメリカ…いいわね」
「ええ、リュウのいた時代…80年代の若者は、アメリカに憧れる人が多くて、それでリュウも一周してみたいって」
「そう」
「最近は、警部から貰ったバイク毎日いじってます。警察関連の部品も外さなきゃないし、色々オプション付けてるみたい」

「貴女は、それでいいの?」

ミレーヌからの問いに、ソフィアは少し息を止め。
物思う風に俯いて、ぽつりと語った。

「Short Movie」
「え?…ああ、クロードから聞いたわ」

ソフィアは、正面を向いて語り始める。

「私、考えてみたんです。リュウが何故あの能力を身に付けたか…」
「……」
「リュウ、1983年からタイムスリップしてきたとき、記憶の殆どを無くしました」
「…ええ」
「知り合いもほとんどいないし、今まで自分が何処でどんな人生を送ってきたかも思い出せない。リュウ…私達の前では明るく振舞ってたけど、一人になるとミャーに語りかけてました。記憶の無い寂しさを…」

ミレーヌは悲しそうな顔で頷く。

「そんなリュウにとって、他の人の記憶や思い出は…とても大切なものに思えたんです」
「……」
「その人にしてみれば、大したことの無い思い出や、悲しい記憶、辛い記憶…捨ててしまいたい過去、でも、リュウにはそれは大切な物に見えた」

ソフィアは瞼を閉じる、目じりが少し滲んでいた。
ミレーヌの目も、視界がわずかに滲む。

「人生を積み重ねてきた記憶の一つ一つが…リュウにとっては、それは、どんな宝石よりも、黄金よりも…かけがえの無い宝物…何物にも代えがたい大切な財産…リュウは、それを相手に見せる事によって、それは大切な物だよ、無くしてはいけないよと、気付かせたかった。そして…リュウも人の記憶の美しさを見たかった…」

ミレーヌは、そっと目頭を抑えた。

「そんなリュウにとって…ルードヴィッヒの…何年も抑えてきた記憶は、とても悲しくて辛いけど…それは磨きぬかれた宝石のように、美しい記憶でもあった…ミレーヌさん?」

ソフィアは、目頭を抑えて肩を震わせているミレーヌの頬から、幾筋も涙が伝っている事に気付いて腰を上げようとした。
その時、一人の女性刑務官がミレーヌに近づいて、自分のハンカチを差し出した。
驚いて顔を上げるミレーヌ。

「え?よろしいのですか……ありがとう…ございます」

礼をしてハンカチを受け取り、目を覆う。
そうして、震える声で告げた。

「私は…無駄なものと言ったわ」
「ミレーヌさん…」
「過ぎ去った事から…得るものは無いと…私達は…そう思っていた。いつも」

咽ぶ声の下、言葉を続ける。

「でも彼は…リュウは…ルードヴィッヒの記憶を…宝物のように、大切にしたのね」
「…ええ」
「それを私達は出来なかった…やっと分かったわ」
「え…?」
「私達が負けた理由、リュウが、ルードヴィッヒを捕まえられた理由…勝ち目が無い」

目はハンカチで覆ったままだが、口元は少し笑っていた。
ソフィアは目を伏せてふっと息をつくと、笑顔で顔を上げた。

「でも、それじゃリュウがかわいそう…」
「え?」

ミレーヌが顔を上げる。

「人の記憶ばかり、人の過去ばかり羨ましかってるなんて、寂しくて、可愛そうです」
「……」
「だから私、リュウには旅に出て、一杯思い出を作って欲しいの…」

ソフィアは笑顔で目を閉じて語り続けるが、その目から涙が溢れてくる。

「私達の知らない土地に行って、私達の知らない人に会って、知らない経験をして、一杯一杯思い出を、たくさん記憶を作って欲しい…そして…」

ソフィアの頬から、行く筋も涙が流れ落ちる。

「いつか再会したとき、リュウから…いろんな思い出話を…聞くの。彼の記憶を…聞くのが、楽しみ…すごく…楽しみ…」

ソフィアは自分のハンカチで顔を覆い、咽び泣いた。
ミレーヌも暫し泣き続けた後、息をついて語った。

「素敵ね…でも…」
「…え?」
「でも…ちょっと…ひどい男」
「どうして…」

ミレーヌは顔を上げ、笑顔で答える。

「だって、こんなに素敵で、可愛い天使を置いていくのよ。ちょっとひどいかも」

ソフィアはぽかんとした後、顔を赤らめた。

「可愛いだなんて…きゃっ!…そんな…キャイン」


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