第15章
「パンドラ、もしくは玉手箱」


ルードヴィツヒがネオトキオに送致されてから、10日ほどが過ぎた。
メカ分署には、やっと体調を取り戻したリュウと、ソフィアが戻っていた。

「心配かけました、おやっさん」
「いや、元気になってほんと良かったわい。一時はどうなる事かと本気で心配したぞ」
「ソフィアの懸命な看病で、元気取り戻しましたよ」
「うふふ☆」
「それで…」

リュウは、少し真面目な顔になって、権藤に向き合うと。

「もう一度、会って話したい人が、いるんだ…」

そう、願い出た。



数日後、リュウ・ソフィア・クロードの三人は、再び3C社「クリス・シャネル・コーポレーション」を訪れた。

スーツ姿で応接室に入ると、ジョセフィーヌのクラスメイトだった、支社長秘書のセリーヌ・レヴィが丁寧に出迎える。

「刑事さんたち、本日はお越し頂きありがとうございます」
「いいえ、突然の訪問に、こちらこそ感謝いたします」

ソフィアが丁寧に礼を返す。

「それで…用件と言いますのは?」

リュウが、少し俯き加減だった顔を上げた。

「どうしても、伝えておきたい事が…あるんです」
「伝えたい…こと?」
「ええ、ジョセフィーヌ嬢と、ルードヴィッヒの事について」
「え、ああ、この度は無事逮捕できたようで、おめでとうございます」

3人、軽く頭を下げる。
セリーヌが、深く息をついて語り始めた。

「ジョセフィーヌの遺産…そんなものがあったなんて…」
「はい…」
「彼女が言っていたのは…私の持っている物を全てあげる…そう言っていたのは、その事だったのですね」

それに対し、3人は口を噤んだ。
セリーヌは、静かに語り続ける。

「先日見たニュースの記事で、それを持って自首した時の証言が書いてありました。パンドラの箱と言ったらしいです」
「…ええ」

ソフィアが頷く。

ミレーヌは自首の際、警官にアタッシュケースの中を聴かれて
「パンドラの箱」
と始めに言ったという。

リュウが恥ずかしそうに聞く。

「あのさ、前から聞きたかったけど…パンドラって何?」

ソフィアが笑って答える。

「ギリシャ神話にあるの。パンドラっていう女の人がいて、神様から箱を渡されるの。『これはあけてはいけない箱』と言われて。でもパンドラは誘惑に駆られて箱を開けてしまうと、そこからありとあらゆる厄災が飛び出て人間に広がってしまう。パンドラは慌てて蓋を閉めたけど、災いは全て出てしまった後で、中に残ったのは希望。そんな話」
「ふーん」
「だから、開けてはいけない箱や秘密を開けてしまった事を『パンドラの箱』と言うのよ」
「そっか…やっと分かった。ありがと」
「でも…」

ソフィアの物思うように顔を上げた。

「私、あのコレクションは、パンドラって言うよりは、玉手箱だと思うの…」
「…?」

全員が疑問の表情をした後、リュウが自分を指差して「俺?俺?」と言う
クロードが笑いながら応えた

「今回は、ダンナじゃありませんよ」

ソフィアは続ける。

「あの箱に入っていたのは『時間』だった」
「…え?」

セリーヌが首を傾げる。

「コレクションもだけど、ルードヴィッヒがジョセフィーヌから託された時計。その二つには止められた時間が入っていた」

ソフィアはじっと目を閉じた。

「開けてはいけない箱を、ずっと手元に置いておくっていうのは…辛いことだと思う。中が何か気になって気になって、時間が経つと共にその思いは募っていく。ルードヴィッヒの止められた時間は、箱の中でどんどん想いが募って行った」

リュウが、窓の外を見て言う。

「そして、奴はずっと後悔していた」
「…!」

はっとして顔を上げるセリーヌ
ソフィアは軽く頷き、リュウが続ける。

「ジョセフィーヌを死に追いやった事を、ずっと後悔していた。でも表向きには絶対表さず…その分、中でどんどん思いは強くなっていった。そして…ジョセフィーヌはずっと悲しんだまま」

ソフィアが続ける。

「だから、リュウのShortMovieにあれだけ反応したのだと思う。二人の募る思いは、箱を開けた瞬間一気にあふれ出した…玉手箱に入った何百年の時間が一気に吹き出たように…だから」

ソフィアは空を見つめた。

「開けてはいけない箱を開けたという点では似ているけど、あのコレクションはパンドラ…あるいは玉手箱だったのだと思う」
「あの…」

セリーヌが、不安そうにリュウに訪ねた。

「後悔しているって…どういう事ですか?」

リュウは息を付くと席を立ち、窓の側に寄った。

「セリーヌさん」
「…はい」
「今日、俺たちがここに来たのは…あの雪の日…ジョセフィーヌが亡くなった日、何があったのかを伝える為です」
「え?」
「もしかしたら、辛い話かもしれませんが、貴女はジョセフィーヌの事を凄く思って悲しんでいたので、聞いて下さい」

セリーヌは不安そうに頷いた。
リュウは窓の外を見ながら語り始める。

「ほんの、些細な行き違いだったんだ」
「…?」
「あの、契約の日、ルードヴィッヒは2階の書斎でジョセフィーヌの父親…キャッツバーグ氏と財産譲渡の契約を交わしていた。ジョセフィーヌは部屋で、オペラへ行く準備をしながら幸福な気持で待っていた」
「…ええ」
「最後の契約書にサインをする前に、キャッツバーグ氏は『娘を幸せにしてくれ』と願った。でもさ、キャッツバーグ氏が二人の結婚を許したのは、あの壷が欲しいからだったんだよ。そんな相手に幸せにしてくれなんて言われて、腹が立ったんだ。それでルードヴィッヒは言った『私に愛や幸せは必要ない』って、肩透かしを食らわせるために」

ソフィアが聞く

「もしかしたら、その言葉をジョセフィーヌは…」

リュウは頷いた

「ああ、聞いてしまったんだ。本来書斎にお茶を持っていくメイドからそれを受け取って、ジョセフィーヌは書斎に行ってしまった」

辛そうに目を閉じる。

「愛や幸せは必要ないなら、自分は必要ない存在だと思ったジョセフィーヌは、そのまま命を落としてしまった。その日見に行くオペラの主人公『トスカ』と同じ死に方で…」
「……」

セリーヌが、震える手を口に当てた。

「もしあの時、ジョセフィーヌが書斎にお茶を持って行かなかったら…ルードヴィッヒが、相手の鼻を明かすような事を言わなければ…それは、ほんとに些細な出来事が運悪く積み重なった結果だったんだよ」
「それは…」

どうやって知ったのかと聞こうとしたが、リュウが話を続けた。

「でも、もう大丈夫」
「えっ?」

不思議そうに顔を上げるセリーヌ

「二人は、和解したよ。ちゃんと解かり合えた」

リュウが、皆に振り向いて笑う。

「話し合う機会があったんだ。それで誤解は解けた。ジョセフィーヌさんは、次に彼と会った時は信じてあげたいって…そう、言ってた」
「リュウ…」

ソフィアの目が滲む。

「そういう事、ごめん。もしかしたら予想外だったかもしれないけど、どうしても、貴女には伝えたかった」
「…ええ、でも…」

セリーヌは戸惑った表情を見せて立ち上がり、リュウに歩きながら問う。

「どうやってその事を知ったのですか…?…貴方の話を聞いてると、まるで彼女に会ってきたようです…でも、そんな事」

背後で、クロードとソフィアが応える。

「あー、マドモアゼル、この人ね、見かけによらず凄い能力持ってるの」
「そう、見かけによらず、相手の心を読み取ったり、相手の想いが見えたりするのよ」
「…おまえら、見かけによらずは余計だよ!!…ま、そういう事。俺の能力で、なんとかルードヴィッヒに真意を伝えたかったジョセフィーヌさんから、頼まれたの」

照れるように頭をかくリュウ
ところが、セリーヌは黙して顔を背けた

「………」

セリーヌの表情は徐々に不快なものに変わり、胸の辺りで握った手は少し怒りで震えていた。

「ごめん。確かに、信じてもらえないよな」
「…ええ…」
「うん。いきなりこんな話をされても、普通は信じられない…だから、一つ確認を取っていいですか」
「え?」

不思議そうに顔を上げるセリーヌに、リュウは明るい顔で指を一本立てて聞いた。

「ジョセフィーヌさんが、あいつのネクタイを選んだとき、二つの色で迷っていた。一つはスモーキーイエロー、一つはモスグリーン」

セリーヌは、ぽかんと口を開けた。

「それで、セリーヌさん、貴女のアドバイスもあって、ジョセフィーヌが選んだ色はモスグリーン。そうでしょう?」

それは…
それは、ジョセフィーヌと自分だけしか
知らない、情報

セリーヌはしばらく息も出来ない程に驚いていたが
やがて、大きく息を吸って吐き出すと、呆然と語った

「……不思議な事って、あるんですね…」

窓際で向かい合っている二人を見ながら、ソフィアがクロードに小声で問う。

「ねークロード?」
「今日はやらないのね、得意の横車」
「へっ、俺だって空気ぐらい読めますよ。今日は、ダンナに譲ります」

セリーヌは笑顔を取り戻し、窓の外を見つめて語った。

「刑事さん…」
「ん?」
「私、今度の休みに、ジョセフィーヌのお墓参りに行こうと思います」
「いいね」
「彼女の好きだった赤いバラをたくさん持って…彼女、喜んでくれるかしら」
「ええ、もちろん」

二人笑顔で、窓の外を見下ろす。
華やかなネオトキオの街は、オレンジの陽光に輝いていた。


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